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2017年5月5日金曜日

ここに来てなぜか動画を配信してみる

 僕が生まれて初めて手に取ったマンガは、ハードカバーの「アタゴオルは猫の森」である。面白いからぜひ読めと父の強力プッシュで、物心もつかないうちから絵本に混ぜて読み聞かせてもらったのであった。それは間違いではなくて、幼い頃から良質のファンタジーに触れることができたて本当によかったと思う。
 同じシリーズの第2巻「ヒデヨシ印の万華鏡」では、主人公の破天荒な迷惑ネコ「ヒデヨシ」が森中の草花をスピーカーに、雲に自分の姿を映して放送局を開くというステキな話がある。好き勝手なことをわめいたり下手な歌をうたったりするので、森からは苦情が殺到する。見かねたヒデヨシの仲間たちは、どうせなら楽しいものを放送しよう…と劇を上演する。僕はその話が30年来大好きだ。

 今の時代、文章や音楽だけでなくて映像も手軽に配信できるのだから、軽い気持ちで楽器を弾いてその模様を放送してみたい。ただ、弾いたそばから忘れていく僕は、ゲー音部のさば夫さんみたいにすごいレパートリーがあってどんどん曲を弾けるほど上手じゃない。また、中途半端に凝り性な部分があって、楽に作ったものを人前に出せないのである。



 ただ、最近2ヶ月連続でゲー音部の活動に参加させてもらって気づいたことがある。定期的に人前で弾く経験ってすごく「緊張症」には効くんだな、ということだ。おかげで主催させてもらった回には特にあがりすぎてめためたになる曲もなく、たくさんの曲を思い出して弾くことができた。
 子育てと仕事以外の時間はだいたい音楽のことを考えているものだから、ゲー音部への参加についてもバンドの活動をサボっているみたいで気が引けていた。でも、ライブをやるように一所懸命練習するのでなくても、またCDを作るように一所懸命アレンジを練るのでもなく、ただ「楽に弾く」ということが、結局は演奏の幅を広げたり、自信につながったりするのだと今は思っている。

 じゃあ、毎月のようにゲー音部に参加させてもらってじゃんじゃん弾いたらいいじゃないか、ということになるんだけど、そういうわけにはいかないのだ。僕の家では何よりも娘ファーストと固く決まっているもんだから、1ヶ月に1回も土日に休みをもらっていたら確実に暴動が起こる。家で練習しているだけで怒られるんだから。
 
 そんなわけで、「楽に弾く」「人に観てもらう」の両立を考えて作ったのが以下の動画である。


わざわざ大きな画面で観たいという人は以下youtubeのサイトへお願いします。 
https://www.youtube.com/watch?v=GbUXsx7Nk18

 さて、この妙な動画を作った顛末を簡単に紹介したい。

 1 娘が寝静まったら速攻でパソコンを開き、ベースとドラムのトラックを作る。
 2 てまりを連れて自宅の3F(楽器が置いてある部屋)へ。
 3 二人で合わせてバーっと弾きながら映像も撮る。
 4 娘がムクッと起きて僕がいないことに気づき、怒鳴り声が聞こえたらすぐ2Fの寝室へ。寝かしつける。
 以下、3と4の繰り返し
 
 という感じである。
 これがもう、我が娘にはテレパシーでもあるんではないかと思うくらいに、寝ていても僕がいないのを察知する。こういう状況でやっていると、連続で1時間とかはどうやったってリテイクできない。相当うまくいっても3〜40分くらいである。
 そして、当たり前のことだけれど、同時に録音しているもんだから、二人のうちどちらかが間違えたらボツ…
 しかも、僕は録音が始まってだいたい2〜3時間くらいすると調子が乗ってくるけれど、てまりは同じ曲を何度もそんなにやってられるか!もういいよ!というタイプ。
 こんな状況だったらもう、ちゃんとした演奏を聞かせたいとか、そういうのがシステムとして無理。この中で精一杯やるだけ、となる。でも、今ぼくはこれをやるのが上達につながると信じている。だから何度かこの形でやっていこうと思っている。どうかお付き合い下さい…
 
 動画はとにかく弾いているところを通しで撮って、あまりにも急いでいるもんだからロクに三脚の位置も考えないでやったら、顔が映っていて、こりゃまずい…とポポロンとアフロディテを貼った。そして、座ってただ弾いているだけで殺風景なので、海外の動画作りフォーラムを少し回って、著作権フリーのインドっぽい映像を無秩序に入れて作った。昔のプログレのライブビデオの、よく分からないところで意味ありげな(おそらく何の意味もない)映像が差し込まれるのが好きなので、そういう感じにしよう、と。

 で、選曲について。
 なぜこんなMSXでしか出ていないマイナーゲームの、しかも5面をやるのか。それは、いい曲だから。昔から大好きな曲なんです。(せっかくやるのだから、あんまり人が演っていない曲を、と思ったのもある。)
 このゲーム、あんまり操作性や爽快感も無いし、当時友達の家にあってやらせてもらっていて、そんなに素晴らしいゲームとも思えなかった。でも、この曲をはじめものすごく良い曲が多い。世界各地の遺跡を巡って行って、最終ステージがこのインダス文明のモヘンジョ=ダロのステージ。
 しかも、ラスボスを倒して主人公たちがウシャスの秘宝を手に入れると、エンディングではいきなり核爆発が起こって主人公たちも巻き込まれ、古代人が核戦争を起こさないように封印していたことが分かる…というあまりにもひどいストーリー。そして、ゲーム本編で結末に対して「そんなアホな」とつっこんでいるのである。…なんか、たけしの挑戦状のコレを思い出すよね。




 さてさて、この動画の試みは一度で終わったら全然意味がないので、もう次の曲は決めていて、近々収録するつもりです。次はまた、誰にも期待されてない曲になると思います。ヒントは「歩いてると季節が変わるRPG」だよー。(分かるかそんなの)


 web拍手のお返事。(いつも遅くてごめんなさい。)
 「以前 死んでしまうとはなにごとかを購入しました!また欲しいのですが、購入できませんか??(>_<)
(追記)ちょっと前にCDほしいといったものですが、イースIiのオープニングのやつと妖怪道中記のがめちゃききたいです」
 
<まだ覚えていてくださって本当にありがたいです。あの頃、自分たちなりに新しいことをやろうと思っていて、それを手にとってくださっていた方がいたのは本当に嬉しいことです。ですが…本当に申し訳ないのですが、あの頃の曲というのはもうデータも残っていませんで、僕の手元にもCDRしかないのです。それをコピーしようにも、ほぼ楽器初心者がもがいている様子を思い出すと頭が溶けそうになるので、あくまでも「あの時だけのもの」と思っていただきたいのです…。ただ、当時の曲はライブとかで今後もやっていこうと思っているので、そこでいつか聴いていただけたらと…。ホントにすみません。

 「復活?されたのですね!!以前のパラメキア帝国のサイトはブックマークにしており、良くチェックしていました。1st,2ndも購入しました。(もう10年以上も前か・・・)出来れば、1980年初頭ゲームをプレイしている錯覚に陥るような効果音も含めた”メドレー”なんかをやってもらえるとうれしいです。(つーか、またアルバムを即買いします。)
応援しています、頑張ってください。」

<どうもありがとうございます。ベースをやってくれていた人が音信不通で、ドラマーもいなくなってしまったので、堂々と復活とは言えないのですが、細々とでもやって頑張っていこうと思っています。
 効果音はゲームの音楽と一緒になって作品の一部とも言える存在感がありますよね。ただ、ドラクエやマザーなどのCDに入っているゲームをやっている風の「効果音含む実況音声」みたいなのって、自分の意図しないところで効果音が鳴るわけですから、聴く人によっては「ここで聞こえないでほしいな」というのもある気がします。ですから、アレンジに入れるのは難しいですが、「ここぞ!」というところでは入れていこうと思います。怒2のスタート直後の「よし!いくぞ!」とかも、そうですね。
 でも、前にファミコン版北斗の拳の、敵が破裂するときの、なんていうんですか「くもーくもーくもーくもー」みたいな声。あれをボブにギターで再現してもらおうとしたら、全然似てないんですよ。ああいう場合はもう潔くファミコンから録音するしかないかもしれません。

 「以前金沢に住んでいたころに、「しんでしまうとはなにごとか」と「ふっかつのじゅもんがちがいます」の2種類のアルバムの購入をさせていただいた者ですが。。。おかえりなさいませ!コミケには行けませんが通販などできるなら、また購入させていただきたいです。」
 
<以前はコミケにCDを出品すると同時に、バンドのサイトで通販をしていて、メールで住所を送ってもらって、郵便為替と引き換えにCDを送ったり…とかやっていたものでした。また通販の方法とかももう少し考えようと思っています。(もしいま関西にお住まいであれば、ゲーム探偵団に置かせていただいているので、お店でも手に入ると思います。)
 コミケもファミコンの曲とかをやっている人はほとんどいなくなりましたし、社会人になってみるとお盆や年末に時間をあけるのもきつい人が多いのではないかと思いました。せっかく作ったCDを聴いていただけるのはとても嬉しいので、方法を考えないと…。
 

2015年12月30日水曜日

スターウォーズはやっぱり最高だぜ。(ネタバレなし)


 映画が好きだというと「どの映画が一番好き?」とすごく難しい質問をされて困ることがある。いつの頃からか、もうめんどくさいので「スターウォーズ!」と答えるようにしてきた。それなりに話も弾むし。
 だけど、よくよく考えてみると本当に一番好きな映画はスターウォーズなんじゃないかと思えてくる。

 僕は77年生まれなんだけど、スターウォーズを全作映画館で観ている。というのは、父が「自分が観たいから」という理由で、幼少期の僕を預かりつつ映画館に連れて行っていたのだ。(…と、大きくなってから父に聞いた。)
 ただ、1作目はもちろん全く物心ついていなくて(もしかしたらぐっすり寝ていたのかもしれない)、全然覚えていない。
 2作目は3歳。めちゃくちゃ怖がって、映画館の一番後ろから泣きながら観て、何度も出たり入ったりしたのをよく覚えている。
 そして6歳のころ観た3作目。もう全身の細胞がグラングラン揺さぶられるような気分で劇場を出て、買ってもらったパンフレットを毎日ボロボロになるまで眺めたものだった。ビブ・フォーチュナとかアクバー提督とか、細かい宇宙人の名前だけでなく、ヨーダはフランク・オズ、オビワンはアレック・ギネス…なんて6歳の子どもが俳優の名前を覚え始めてしまった。
 そして隣に住んでいた友達に「スターウォーズすげえんだよ!」と興奮して語って全然理解してもらえず、挙げ句の果てには「他の宇宙人は気持ち悪いけどこれはカワイイよね。イヌみたいで」とか言われ、ばかやろう何がイヌだ!イウォークだぞ…とやさぐれていたのだった。
 人間、覚えても何の得にもならないことを記憶したり、好きなものが友達に理解されなかったりというのがその後の人生にパワーを与えるものだ。僕にとって最初の経験はスターウォーズだった。

 ところで、エピソード1が公開される少し前に、テレビに「スターウォーズ好きの芸能人」として武田真治が出ていた。
 ファンの熱狂を伝えるニュース番組だったんだけど、その中で女子アナに「どんなところがスターウォーズの魅力ですか?」と聞かれ、彼は自分で集めたグッズに囲まれながら、「…だって、面白いじゃないですか!」と答えていた。
 この答えにはすごく共感した。僕もスターウォーズがなぜ好きかと聞かれたなら「カッコよくて面白いから!」と答えるだろう。

 そんなスターウォーズの最新作が公開された。もともと休みが少ない仕事をしていることもあるが、休日は長女と遊ぶことが決定しているため、観に行くのはとても難しい。一緒にお風呂に入りながら何度も「お父さんがものすごく好きな映画だから観に行かせてほしい」とか「一緒に観に行こうか」と説得していたのだが、「だめにきまってるでしょう」とのことであった。

 しかし先日、ついに「仕事」とウソをついて観に行ってしまった。(数えてみたら今年3回目の自由時間であった)
 映画の出来は、何かいろいろ言う人はいるかもしれないけれど、最高だった。なぜなら、スターウォーズだから。
 ルーカスが作ってないとか配給が変わったとかそんなのどうでもいい。ミレニアムファルコンが飛んでライトセーバーが光るんだから。僕は上映中3回泣いた。
 

 さて、このブログは楽しみにしている人がいるのに映画の内容を語るほど野暮ではないのだが、いまものすごくスターウォーズを語りたい。どうするか、では映画以外のことを話そう。
 今日僕が言いたいのは、スターウォーズのグッズについてだ。

 プリクエル時代とはうってかわって、恐ろしいほどにスターウォーズグッズが作られるようになった。
 しかし、これだけ数が出ているのに「これはいい!買おう!」と思えるものはとても少ない。特にアパレル関係。
 さりげないデザインのものも、派手なものも良くない。そして、今風のものも、レトロな雰囲気にしているものも良くない。本当にスターウォーズが好きな人が作っているとは思えない。



 これはBEAMSのスウェットだが、チャンピオンのロゴもついているあたりがいかにもBEAMS。ダメだと思う。



 これはX-GIRL。うーん…プリントだけレトロ感があってもTシャツのシルエットは今風だし(当たり前だけど)、なんか中途半端。そもそもこんな若い女の子がスターウォーズの服着ねーよ!まあ、そう言ってしまったらおしまいだが。

 

 しかし、これは良い!ほしい!…なぜこの人選!?良すぎ!


 そういえば、数年前にギャルソンシャツで作られたコレは大喜びで買ってしまったのだった。

 こう考えてみると分かったことがある。僕はスターウォーズグッズにカッコ良さを求めていない。どこかにダサさが残っていてほしい。


 これも数年前に買ったものだけど、スターウォーズのレシピ集。いい感じにダサい。内容は「Yoda Soda」という緑色の飲み物とか、「Obi=Wan Kebab」とか、バカなものばかり。本自体を置いておくだけでインテリアとしてもおすすめなダサさ加減。グッズはぜひこうあってほしい。

 しかし、いくらダサくてもこれはダメだ!この前見かけて仰天したよ…


 ダークサイドモナカ!…おいおい、いいかげんにしてくれ!おいしかったけど。
 ライトサイドは何か?雪見だいふくか?

 やっぱり、ダサくてもそれは単なるウケ狙いだけでなく、ウケを狙うとしても本気で作っているのでないと。

 では、フォースの覚醒の劇場で見かけたこれはどうか。

 あまりのインパクトに写真を撮ってしまったがガラスケースの中にあったので鮮明でなくて申し訳ない。
 

 その顔はどうなんだ…。アマゾンとかで日本製のフィギュアにこっぴどいレビューしている人が見たら卒倒するぞ。


 めちゃいい人そう。ジェダイというより農家の好青年だ。
 ちゃんと作ろうとしたけど結果的にひどい物になった感があって良い。

 まあ、その路線で…と思い出してみたら、やっぱりこれには勝てないよな。


 サソリベイダーという、すばらしいネーミング。そして「オレサマ」。
 
 今後も続くスターウォーズシリーズ。次作は2年後と言われているけれど、グッズの動向もしっかりチェックしていきたい。ダサいものはすかさずゲットだ!


 web拍手のお返事〜
 「大昔にパラメキア帝国さんの音楽を聴いていたものです。題名のない音楽会のゲーム音楽特集で、ふと昔聞いていたことを思い出して検索してみたら、こちらのサイトがhitして、懐かしい思いで試聴聞かせて頂きました。やっぱりここの音の格好良さが好きです。新作CDも出るのでしょうか、楽しみにしています!」

<ありがとうございます。題名のない音楽会は僕も観ました。ファイナルファンタジーはまさかのリコーダー合奏。そして植松伸夫氏の「ゲーム音楽はみんなで演奏する時代になる」という言葉は印象的でした。
 音楽の教科書に愛のテーマやエイトメロディーズが載った時は驚きましたが、今はゲーム音楽のオーケストラとか吹奏楽団とかどんどんできて、時代は変わってきたなという印象です。ゲーム音楽を聴いて育ってきた世代が大人になって、時間やお金や、その他の余裕ができて…というタイミングもあるのかもしれません。
 ただ、この流れがこの後長く続いていくのかどうかと考えると、それは分かりませんよね。たとえば仕事が忙しくなったり、結婚して子どもができたり、一緒にやる仲間がいなくなったり……。一度活動を休んでみた実感としても、休んだり辞めたりの原因っていくらでもあるような気がします。
 だからこそ僕らは今やろうと思っているし、これからも続けようと思っているんですけどね。(まあ、昔から空気読まないでやってきているので、時代の流れに関係なく好きなようにやっていくだけですが…)
 思い出してもらえるのは本当にありがたいことです。活動休止したのも気持ちが切れたからとかやる気がなくなったからではないので、自分の気持ちとしてはほとんど変わっていません。以前と変わったかどうかということって、自分達では全然わからないことです。うまい下手とか、技術が進んでいるかどうかによる違いも、それが作品としての評価に直結するわけではありません。
 だから以前にやっていた時の気持ちが、いま作っているものの中にあると思ってもらえるとしたら、とても嬉しいです。CD制作もがんばります!
 

2015年9月27日日曜日

バンドの次なる予定

 ベースとドラムがいない状態なので本格的にとは言えないけれど、一応今の形でバンド活動再開してから、1枚のCDを作り1度ライブを行った。
 昨年12月に作ったCDの方は、結局のところ過去のどのアルバムよりも多くの枚数が人の手に渡っている。今までのパラメキア帝国のCDに比べると有名な曲が少ないし曲調も深刻だけど、自分のやりたいことは沢山できたので、今更ながら作れてよかったなぁと思っている。
 また、ライブの方は復活したよというお披露目と「なるべく緊張しない」というはっきりした目的があったので、まあ色々トラブルはあったけども、やった甲斐はあったと思う。

 で、次の活動はどうしようかなと考えている。
 ライブというのは間を空けずにどんどんやっていかないと上手くならないんだけど、引っかかることが二つある。やはりベースとドラムがいないので、やるにしてもまた打ち込みに合わせることになる。ベースとかドラムをやっている友達なんていないので、というか、友達自体が少ないこともあり…誰かにやってもらえる可能性は少ない。

 もうひとつは、娘ふたりがまだ小さいことである。前回のライブに関しても、夫婦の趣味のために誰かに子どもを預けるということがどうしてもできず、メンバー全員で合わせるのは本番の一発勝負という形になった。
 そりゃ「全ての時間とエネルギーを子どもに捧げます」なんて親よりも、自分の楽しいこともバランスよく取り入れて、余裕を持って子どもを育てた方がいいんだろう。しかし、僕にとっては子どもと遊ぶのは大きな楽しみであって、なおかつ生きる意味にもなっているので、どうしてもその時間を削れない。動物園や公園に行ったり、映画を観たり、一緒に絵を描いたりプラ板を焼いたりしていると体の芯から幸せが湧き出てくるんですよ。
 だから、もう少し娘が大きくなって一人でも楽しいことを発見したり、僕が一緒にいなくてもキレなくなってからライブをすることにしたいと今は思っている。

 そんなわけでメンバーにも相談のうえ、次の活動はCD作りということにした。

 思い返してみると、前のCD(Push Start My Heart)は、実は途中までCDにしようと思っていなかった。なんとなく久しぶりに録音でもやってみるかーと夜更かししてギターを弾いてみたら、けっこういい感じでできたのだ。
 家で大型アンプを鳴らすのもサイレントボックスとアッテネータのおかげでできるようになった。また、全然ミックスとマスタリングの腕がない僕がやったものをボブがきれいに直して、音質も以前よりずっと聴きやすいものにしてくれた。じゃあ、もう一曲…と続けていって、これって一枚CDができるのでは…?という流れになったのだ。今聴くと、自分の好きな曲がたくさん入っているのはいいけれど、主に選曲や曲調の面で、もう一考できたのでは、と思うのである。

 次作るCDでは好きな曲を好きな順に編曲・録音という形にしようとは思っていない。先に曲決めをして、きちんとアルバム1枚の流れを考えて作るようにしたい。そして、前のアルバムは手にとってくれた人にさえ「ほとんど知ってる曲がなかった」と言われたので、もっと有名な曲も入れたい。
 そう思って、春にライブが終わってから、あーでもないこーでもないと考えていた。このバンドの選曲は、ライブにしろCDにしろ、ほぼ僕一人でやってきたのだった。
 実は、パラメキア帝国のメンバーって、てまりんもボブも、「人のこと考えていない」部類だ。あの人らときたらポップでキャッチーな曲やら、一緒に盛り上がろうぜというアルバムは一切聴かない。アーティスト然とした音楽というか、これが俺の表現だというものに魅力を感じているように少なくとも僕からは見える。だから、彼らに助言を求めても「いいと思うよ。君が思う通りで」という反応が返ってくるに違いない。今までの長い付き合いからきっとそうなる。

 こうして、叩き台と言える曲たちと、アルバムの流れができあがった。(叩くのも自分一人なのが寂しいのだが…)
 今考えてみると、前のCDの1曲目、サガフロの「旅の幕あけ」はちょっと絡みづらかったかもしれない。イトケン曲って、これとアセルスかよ…バトル曲無いのかよ、みたいな。
 だから今回の1曲目は超がつくほどメジャーな曲、かつワクワクする曲にした。
 ファザナドゥのパスワード画面、「いのりのことば」だー!
 …超はつくけど、マル超シリーズの超だ。もう、これだけは他の曲に変える気がしない。これしかない。

 実は一曲すでにアレンジが仕上がっている(終わりの部分の再検討だけが残っているが)。
 時間をかけて作れたので、編曲はかなり練れたと思う。そしてCDを作るんだから、全部これくらいの完成度にしたいと思っている。
 ただ、できあがったのは悲しくて重苦しいバラードである。1曲目が「いのりのことば」だと、かなりシリアスで重いCDになりそうな予感がする。
 今ならまだ間に合うので、これを読んでいる人でバトル曲は何にした方がいいよとか、これやってみればというご意見があればコメント欄かweb拍手で聞かせてください。(下の「◯件のコメント:」というのを押せば匿名でもコメント書けますので。)今のレトロゲーマーの人がどんな曲を聴きたいのか僕は全然把握できていません。

 このままだとタイトルも「くやんでは なりません」とかになって、かける度に重い気持ちにさせるアルバムになってしまうので…

  
 P.S.
 web拍手のお返事ー(遅くてごめんなさい)

「前に買ったCDをなくしてしまったので、また買うことはできませんか。たしか、しんでしまうとはなにごとかというタイトルです。」
 ありがとうございます。で……ほんとに申し訳ないのですが、以前のCDを聴くと口から人魂が出そうになるので、今は再販を考えていないのです。(また、三枚目のCDに関しては、探しているのですが音源自体が自分の手元にありません。)何人かの方から声をかけてもらっているのですが、若気の至りとか何かそういうので済まされないので…。その時の収録曲の、サルーインをこの前のライブでやったりしているので、いつかまたライブでとか、再録とか、そういう形でやりたいと思っています。

2015年3月21日土曜日

親の夢を子に託してみた…

 慎重な性格で得をすることって、世の中にあまり無い気がする。
 他の人が特に考えもせずにやっていることを、あーでもないこーでもないとじっくり考えたりすると時間のムダだ。それは分かっているのだが、何かを話すにも「こう言った方が伝わるかもしれない」とか考えてしまう。家に帰ってきてから「あの場面ではこういう表現をしておいた方が誰も嫌な思いをしなかったかも…」などと一人反省会が始まってしまうこともある。

 自分の娘には、そういった部分で物怖じしたりクヨクヨ考えたりする性格にはなってほしくないと思っている。別に話なんて深まらなくてもいいから、騒いだり、その場のノリで明るく楽しくやれる女の子になってほしい!

 そこで、娘と二人でトレーニングをすることにした。自宅のHDRにいつの間にか録画されていた「BSハイビジョン世界の美しい街」とか、そういう深夜にやっている、ナレーションも何もなく淡々と風景を映しているだけの番組を見て、「ただ騒ぐ」ということを娘と二人してやってみたのである。

 どーでもいい音楽に載せて、ただベネチアの街の静かな様子を流している番組に、親子二人してツッコミや合いの手を入れたり、バカ騒ぎをするのである。
僕「よっ!待ってました!本場イタリアのチョイ悪おやじ!セニョール!ジローラモ!」
娘「これは、川ですねぇ。川で……おふねにのるのかい!」
娘「またおふねだ!アンコール!アンコール!」
僕・娘「ちゃっ、ちゃちゃっ、ふー!」

 連れ合いには「何をやってるんだ…」と呆れられたが、あなたには分からないだろう。セニョールがスペイン語なんじゃないかという不安にもかかわらず、そこを慎重にならず口に出すほどの決意を秘めた私の心の内が。
娘にだけは私のような人生を歩ませてはならぬという親心から早期教育に乗り出したのだ。ここで気後れしてはならぬ。数年後、美しく成長し、たくさんの友達に囲まれた娘が感謝する姿が目に浮かぶ。

 さて、娘の「ごっこ遊び」では、そういった瞬時のコミュニケーション(なんにも考えずその場のノリで言葉を生み出す)能力が試される場である。父親としてしっかりと応えてあげなければいけない…
 だが、男の子のヒーローごっこ遊びと、女の子のプリキュアごっこは似て非なるものだ。具体的に言うと言語体系やシナリオが違う。
男の子であれば、「○○ビーム!」「うわぁぁぁ!」「××がえし!」「なんだと!○○ビームがきかない…」「ふはは、めいどのみやげにおしえてやろう!わしのじゃくてんは…」とか、まあ、そんな感じでやってればいいのである。

 しかし、プリキュアの場合は「きゃあー」とか言ってやられて、変身が解けたりなんかして、その後いろいろ苦しそうに独り言をしながら、「いままでの私たちはあきらめてたかもしれない。……でも、いつも前を見て、けっしてくじけないの!」とか何とか言って、とにかく心の持ちようだけでいきなり強くなったりするのである。
そこが実に難しい。

 また、男親にとって最大の関門となるのは、女の子の「ステキパーティーごっこ」である。「わたし、マカロンを持ってきたの」「わーカワイイ」とかそういうやつ。
無理。


 娘「アナ雪ごっこしよう!わたしがエルサ、おとうしゃんはアナね」
 父(……)
 娘「どうしたの?はやくはじめてよ!」
 父(……どうしたらいいんだ!)「あのー、わたし、この今日初めて会った人と結婚しようと思うのですが、どう思います?」(アナ雪を真面目に観ていないからセリフもよくわからない)
 娘「けっこんはみとめません」
 父「あ、そうですか…常識的に考えたらそうですよね。(娘)ちゃんも変な男といきなり結婚とか言わない方がいいよ。みんなが悲しむことになるからね…」
 娘「ちゃんとやって(怒)!」

 アナ雪って何がどのように女の子の心に引っかかってくるのか、まだ理解できていない。何度もDVDが家で再生されているにもかかわらず、女子の魂を持たぬ父親にはセリフどころか歌さえも頭に入ってこない。風呂で娘が主題歌をうたいだしたので一緒に歌っていたら
 「とまーどいー傷ーつきー、だれにもー知られぬーようにー♪」
と言って、「だれにも打ち明けずに、だよ」と間違いを指摘された。確かにこれではヒサヤ大黒堂であると気づいた。

 いくらツッコミや合いの手のトレーニングをしようが、ごっこ遊びに参加しようが、30代も後半にもなれば僕自身の考え方や姿勢は改まらない。
 それじゃあできることは、娘の観るテレビや映画をきちんと一緒に観て、そしてセリフや状況を覚えて、色んなパターンに対応できるだけの貯えをしよう…ごっこ遊びに誘われたら、覚えたことを使えばいいのだ、と気づいた。楽器にたとえると、アドリブの苦手な人がたくさんのフレーズを覚えて、引き出しからひとつずつ出して順番に使っていくように…。


 プリキュアでは、「愛など無意味」とか言っているイケメンのラスボスが、「それでも愛の力は無敵だよ」と言い続ける主人公にいきなり抱きつき、「では、オレを愛してみろー!」とのたまうメチャクチャな展開があった。
 それを観た後、悪ノリをして「では、オレを愛してみろ―」と娘をだっこしてみた。
 娘は爆笑して「がぶー!」と言いながら、僕の肩を噛んだ……。

 もう、プリキュアがどうとかじゃないんだ。役作りとか、セリフ回しとか大切じゃないんだ。その場が面白ければそれでいいんだよね。慎重派は、ノリの良い人間には一生勝てないと悟った。
 ただ、娘が後者になりつつあるのを喜べばいいのだ。

 
 娘が順調に育っているのを再確認したできごとがあった。
 先週のことである。娘の通う保育園で卒園式があった。三歳児は基本的に参加しなくて良いのだが、「どうしても行きたい」と言うので一緒に行った。

 娘の担任の先生にあいさつすると、「あ、(娘)ちゃん……おはよう。あの、お父さん、もし飽きちゃったら2階の方に…」
 なにそれ?うちの娘がいると雰囲気ぶち壊しってこと?
 しかも会った瞬間の「来たのか…」っていう苦笑いは、なに?…と一瞬思ったが、担任の先生やクラスの子たちには普段からうちのエキセントリックな娘がさんざんメーワクをかけているだろうから、仕方ないか。

 式が始まり、園児が竹馬に乗って入場してきた。日本古来の遊びを押す保育園の方針なのだ。
 一人ひとりを見ていたら竹馬の高さが違って、「いちばん高い竹馬は私のよ!」とかそういう、せめぎ合いがあったのだろうなーとか、どうしても怖がる子が一歩を踏み出せた瞬間ってやっぱり感動的だったんだろうなとか、色々考えてしまった。 
 それよりも、自分の娘が3年後にブレザーを着て竹馬に乗っているところを想像したら涙が……
 そんな親の思いはさておき娘はマイペースで、あれは誰のお姉ちゃんだとか、小学生になっても遊びに来るらしいとか僕に説明を始めた。

 卒園証書の授与が始まった。
 園長先生が感動しているのか花粉症なのか、人前で字を読むのが苦手なのか分からないが、たどたどしく証書の文を読む。

「○○さま、あなたは6年の保育を無事終了し、丈夫な体、豊かな心、考える力を養いました。平成26年3月15日○○保育園、園長○○」わーという拍手、カメラのフラッシュが光る中で、園児が証書をもらう。いいものだ。
 続いて二人目。「△△さま、あなたは6年4か月の保育を無事終了し…」
 ああ、保育園は子どもによって預けられる時期が違うから、保育の期間が変わってくる。だから文面が一人ひとり違うのね…。
 そう思って、目の前で証書をもらう子は生後半年くらいで保育園に来たんだなーとか想像していたら、また涙が…。よその子なのに。
 園長先生はその後も証書の文を読み続けた。「丈夫な体、豊かな心…」ああ、園児が12人くらいしかいないから、「以下同文」にしないんだな。一人ひとりを大切にするからこそ、省略はふさわしくないのだ…。と、そう思った時であった。
 あろうことか、うちの娘は感きわまる保護者たちの後ろでこう言い放ったのだ。
 「ぜんぶ読むのかい!」

 娘をかかえ、別の涙を流しながら大急ぎで式場を出た。
 娘よ、違うんだ。それは色々違う。
 とんでもない怪物を育ててしまうのではないかと不安に思えてきた。

2015年1月5日月曜日

サンリオピューロランドに行ってきたよ。

 娘二人の親となって、女子の領域に立ち入ることが増えてきた。最近言われるようになった「大人女子」とか「理系女子」とかいう女子ではない。れっきとした、ホンマモンの「女子」である。その世界はメルヘンであり、お姫様であり、総パステルカラーでフワフワなのである…。

 そんな女子の総本山であるところの、サンリオピューロランドに行ってきた。
 長女は最近マイメロやキティを好きになったようである。また、近所の公園にはコンクリートのちょっと高い台があるのだが、そこをステージと見立てて勝手に妙な歌をうたい踊り、「お父しゃんはお客さんね。いぇーいって言って」と要求してくる。ではサンリオのテーマパークに行ってパレードでも見たら楽しかろうと思ったのである。




 入り口にはマイメロの提灯が立っており、その前で皆が記念写真を撮っている。その奥にサンリオピューロランドの建物がそびえ立っているのである。先ほど総本山と書いたが、さしずめマイメロやキティの巨大な提灯は御神体といったところか。その神々しさはメッカのようである。ここからムスリムのするように、一歩一歩ひざまずきながら祈りを捧げて歩を進めなくてはならない気さえしてくる。気圧されている父親はよそに、長女は一気に興奮度が上がったようで、神像に向けて猛ダッシュ…。まあ、嬉しそうでよかった。




 中に入ると、これはもう女子は絶対大喜びだろうという景色が広がっていた。そもそもサンリオピューロランドはテーマパークであり、遊園地ではないので、乗り物がたくさんあるわけではない。ただこの空間にいて、ゆるい人形劇を観たり、甘いものを食べたりしてゆっくり過ごすことを目的としているのだと思う。
 入り口そばにおみやげが売っていたので、娘はそこに向かいダッシュ。そういうのは帰りに買うものだよ、と言ったのだが、マイメロのぬいぐるみを欲しいと言って譲らない。帰る時に買うのではなく、「今日はこれを持って遊ぶの!」とあまりに真剣な目で言うので、そういうものか…やはり総本山に来たら女子の言うことにあまり逆らわない方がいいという地形効果も働いたのでガチャガチャなども含め数点買ってあげた。
 
 売店の店員さんやテーマパークの従業員さん達は、一人残らず完璧に、どこから見ても「女子」であった。こういうのは年齢とか関係ない。「女子」なんだよ!なんて言ったらいいの、こういう有無を言わせない迫力。これが巷に言う「女子力」ってものか?(たぶん違う)
 三つ編み、ぱっつん前髪、どことなく残るあか抜けなさ、ギンガムチェック、長いスカート、リボン、フリル、そうしたものが全て備わっていて、なおかつこれが当たり前ですという表情でそこに立って、笑顔を振りまいて仕事をしているのである。
 メタルの世界で言ったら、


 こういう感じ。

 ところで、園内には外国人のお客もいるので、英語ができる従業員さんが多い。しかし、できない人もメルヘンな気合いでなんとかしていた。
 ジャガイモにご飯がつまってて割り箸に刺してある食べ物(なんていうか分からないけど、高速道路で売ってそうなやつ)を屋台に買いにきた外国人のおっさん、やたら店員の女の子に絡んでいて、いちいちそれは美味しいかとか聞いていた。「イッツデリーシャス!」など、超笑顔で答える店員さん。
 外国人客「What kind of sauce ?」
 店員さん「………うーん、、、」(そりゃそうだよな、どんなソースか聞かれても困るだろう。)
 しかし店員さん、ちょっと考えたあと超笑顔で屋台の下から大きなペットボトルを取り出した。
 店員さん「This sauce !」
「業務用、焼肉のたれ」
 うーむ、メルヘンだ。 

 さて、アトラクションは少ないとは言え、ディズニーランドで言ったらイッツアスモールワールドみたいな、人形がたくさんいてゆっくり船で回る乗り物みたいなのはあるので、それなりに並ぶ。キティちゃんと写真を撮るにも並ぶ。
 そういう時には娘の退屈を紛らすことを第一に考えなければならないのだけど、つい習性で周りの人に目がいってしまう。

 前にいた大学生風の青年。一人だったので、彼女に順番待ちをさせられているのか、こういう世界が好きで、一人で来ているのか、どちらだろうか…。小説を読んでいたのだが、後ろにいたのでそれが目に入ってきた。以下、その本文。
 
 ちょっと渋くて すっぱい関係
 だってジグザグ 恋はジグザグ

 なんだーこの文章ーー!?
 マジかー。
 もうこの人、絶対1人で来ている人に決定。
 
 その前にもおじさんが1人で並んでいた。なんかキョロキョロしている。前の青年の堂々とした感じに比べると落ち着かなく見える。そこにお母さんと娘が来て「ありがとうー」と言って列に入っていった。要するにお父さんが順番待ちをしていたのである。
 しかし、そのお父さん、いきなり不満をぶちまけた。
「どんだけ時間かかってんだよ!俺がここにいたら変だと思われるだろうが!」
 かわいそうに、お母さんはすごく申し訳なさそうな顔をしていた。お父さん、誰もあなたを変だと思わないよ。待ち時間が長かったのと、あまりにもこのメルヘン総本山がアウェー過ぎたせいで心細かったんだね。しかし、その娘は完全に父を無視。よし、たくましく育ってくれ。
 
 他にも常連客らしいカップルの話が聞こえてきて、それも面白かった。

 彼女:「私も、もしかしたらここで踊ってたかもしれないんだけどなー」
 彼氏:「面接受けたんだもんね」
 彼女:「そう」
 彼氏:「でもさ、ダンサーさん、みんな細いよね」
 彼女:「………(怒)、でも私も受けたときは細かったし…」
 彼氏:「じゃあさ、人形の方で受ければよかったんじゃない?」
 彼女:「………(怒)」

 この二人、大丈夫なのか!?
 
 なんだかそこにいる人間ばかり気になってしまったが、僕自身もその場を楽しんで、十分にメルヘンな気持ちになっていた。その日は娘を女王のように扱い、連れ合いと「どんなワガママを言っても今日は聞いてあげよう」と約束していたが、そうしたらイライラしたりすることもなかった。

 マイメロの人形劇があったので観ていこうとしたら、ポスターの下に「小学生以上対象」と書かれていた。
 僕:「あ、ここ。小学生未満の方には厳しい内容となっております、って書いてあるよ」
 連れ合い:「いや、『厳しい内容』じゃなくて『難しい内容』でしょ」
 単に僕が見間違えただけなのだが、もし「小学生未満には厳しい内容」の人形劇だったら面白いなと思ってしまった。
 うわー、マイメロちゃんの耳がもげたー。そこからおびただしい量の綿が…
 とか、そういう内容だろうか。

 連れ合いが娘をトイレに連れて行った時、一緒に来た次女を僕がその間だけ預かった。うちでは長女の世話は僕、次女(0歳7ヶ月)の世話は連れ合いと決まっている。次女は僕が抱くと大声で泣き出すのだ。赤ちゃんというのは父親に対して人見知りする期間が必ずあり、長女もそういう時期があったのだが、それが次女はすごく長い。僕も嫌がられてもなんだし、長女も僕が次女を構うと怒るしで、かなり次女とは遠ざけられている。
 それが、なぜか少し機嫌が良くて、その時は僕が次女を抱いても泣かなかった。ああ、メルヘンの国にニコニコした赤子を抱いて立っている、この幸せは何に例えればいいだろう。
 近くに「サンリオピューロランド限定」と書かれたプリクラの機械があった。次女が笑っているうちに二人でプリクラを撮ったらどうだろうか。長女は絶対怒るから隠しておくのだ。仕事で使うノートとかにプリクラを貼ろう。ああ、それでも家で仕事をする時に長女にバレたら大変だ…とか思っていたら、がぜんプリクラを撮りたくなってきた。
 しかし、僕はプリクラを撮った経験がほとんどない。人に連れられて撮ったことならあるが、自分でお金をいれて撮ったことは一度もない。写真を撮った後に何か文字を入れたり、ラクガキをしたりするんだよな、と思ったら急にハードルが高く感じられてきた。撮りたい…が、このプリクラの前に付いた「すだれ」が僕には重い!
 そうして機械の前をウロウロしていると、店員さんが寄ってきた。「かわいいねー」などと言って次女のほっぺを触り始めた。女の人にはあまり人見知りしないので、やはりニコニコしている次女。
 なんだよ…俺はこの子とプリクラ撮りたいんだよ。あっち行けよ「女子」!とか思って、もちろんそんなことも言えずグズグズしていたら娘と連れ合いが帰ってきてしまった。やはりプリクラを撮るには女子力が足りなかったようだ。
 

 その日のハイライトは、やはりパレードだった。
 始まる小一時間前から席取りをしている人も多く、まともな席で観られないかと思ってグルグル回っていたら、けっこう良い場所があったのでそこに娘と座った。
 キャラクターが登場する前からパレードは大盛り上がり。それはダンスがすごいから。アクロバットをの人も体操をやっていた人のような体型で、次々に身軽な技を決めている。基本的に女の子が憧れるような、かわいい振り付けのダンス(振り付けは、振付稼業air:manがやっているらしい)なんだけど、そこに曲芸が入ってサーカスのような趣になっている。もっとサンリオのキャラクターに見合うゆったりした感じなのかと思ったら、パレードは一気にテンションが上がる感じだった。前に東京ディズニーランドのパレードも観たけれど、全体にみなぎる気合いの入れようとプロの魂は断然こっちの方が上だなあと思った。(ディズニーランドのが気合いの入っていない回とか場所だったのかもしれないけど)
 やはり人前に出て芸をするというのは、これくらい真剣に自分の技術を高めて、自分と向き合って堂々とやるべきことなんだと思う。
 
 さて、このような雰囲気に弱いのがうちの娘である。わー!と盛り上がる前に、引いてしまうことがあるのだ。辺りが暗くなったときに、横にいた娘は僕の膝に座り替えていた。僕自身はこんな素晴らしいショーを娘と観られて、それだけで気持ちが盛り上がっているんだけど、娘の方はもしかしたらトイレに行くと言ったり、帰ると言いだすかもしれないなと思っていた。
 それが、キャラクターが出た時には「キティちゃんだ!」「おとうしゃん、マイメロちゃんいるよ!」などと盛り上がり始めた。
 ショーのMCのお姉さんが、「今日は特別な人をお迎えします!」と言った。それでキラキラの馬車に乗って登場したのが「キティちゃんのお父さんと、お母さんです!」とか言われた時には、なんじゃそりゃーとずっこけたが、やはり娘は喜んでいた。
 
 そしてパレードの最後、お姉さんが「みんな、一緒に踊りましょう!」と声をかけると、周りの子どもたちがわらわらと集まってロープを越え、ステージに歩み寄っていった。こういう展開がうちの娘は最も苦手なのだ。
 そういえば僕も子どもの頃、ヒーローショーとかで敵の戦闘員が「子どもをさらってこい!」「イー!」とか言って客席に降りてきたとき、どうか自分の方には来ないでくれと必死に念じていたものだったなあと思う。
 しかし、娘は自分から「行く」と言いだした。これには僕の方が狼狽してしまって、「え!?行くの?お父さん一緒に行けないよ?」などと言ってしまった。しかし、娘は前に座っている人をぐんぐん通り越して、ロープも越えてお姉さんのところにたどりつき、可愛いポーズを控えめにとっていた。それを見て連れ合いは感涙…。父はプリクラのすだれさえ越えられないのに…

 メルヘンのパワーはすごい。娘の内弁慶な性質くらいは吹っ飛ばしてくれる雰囲気と勢いがある。
 満足げに帰ってきた娘。いつも家にいる時くらい自己中では困るけれど、いざという時には物怖じしない子になってほしいので、本当に連れてきて良かった。
 

 男親でも、できる限りは子どもと同じものを見て楽しめたらいいと思っている。
 たとえば僕の中学生のころには「セーラームーン」が爆発的に流行ったけれど、観る気がしなかった。さかのぼって小学館の雑誌『小学〜年生』を読んでいた時も、本誌には「はーいまりちゃん」や「スイートらぶらぶ」などの少女漫画が載っていたけれど、飛ばしていた。そういうのを読むことが恥ずかしいとかカッコ悪いと思っていたのではなく、単純に興味がなかったのである。
 けれど、女子の世界はすごいなと、いまこの年になって思っている。
 本来、僕自身はマイメロに別に興味はなく、最初見たときは「なんだこのブルーナのうさぎのニセモノみたいなのは。ミッフィーにほっかむりをかぶせて、なにがマイメロディちゃんだ!」と思っていた。しかし、娘が「かわいいー!」と言って騒いでいるのを見ていたら、良いもののような気がしてきて、しまいには僕もtwitterでマイメロをフォローしたり、サンリオ総選挙で「やばい、シナモンに負ける!」とか言って毎日投票したりという体たらくである。
 また、同じく女子の世界であるプリキュアも、毎週一緒に楽しんで観ているうちに話が楽しみになり、娘は気乗りがしなくてその日の放送を観ようとしなくても、録画を「早く観ようよ!」と言ったりするくらいである。
 
 うーむ、まずい。今まで全く自分の中に無かったものに目覚めるのは怖いような…。
 しかし、今やっているプリキュアなどは悪の手下になった幼馴染を元に戻すために、赤い鏡の中から出てきたラスボスのところに攻め込んでいくという展開になっており、なんか娘がいなくてもこれだったら来週が楽しみのような……まずい。
 よし、こういう時は自分の中の男らしい気持ちを思い出すためにも、メタルだー。amazonでメタルのCDでも買うか!

 あ、Blind Guardianが新譜を出すの?買わないと!ハンズィ・キアシュ(ドイツ人)の野太い声は女子と正反対にあるものだし。
 ……って、
 

 おい、ハンズィ!お前ぜったいプリキュアにハマってるだろ!

2014年10月22日水曜日

イクメン雑誌の怪

 ママ雑誌はジャンルが本当に細分化されていて、お母さんがどんな生活を志向しているのか、趣味が何であるのかによって色々と選択肢があるように感じる。うちは夫婦そろって雑誌が好きだから毎月いくつか買って、それを眺めては「こんなものが出たらしい」とか「こんなイベントやってるらしい」と情報を集めている。

 では、これだけイクメンという言葉が定着したいま、「パパ雑誌」はどうかというと、かなり極端で面白いことになっている。
 まずパパ雑誌というものは多分、二誌しか出ていない。
 
 ひとつが、「日本唯一のイクメン雑誌」とか言って華々しく創刊されたFQ JAPANである。これは、僕が買う雑誌じゃない。だって、まず表紙がジョニーデップとかネイマールとかだよ。「セレブイクメン」という言葉が当たり前のように使わるし、「リオネル・メッシの子育て」とか「デイビッド・ベッカム流、妻の愛し方」とか、参考にしたい父親って日本にどれだけいるの?あと、僕はリフティング10回くらいしかできないので、この雑誌を買う資格自体がないと思われる。

 今日紹介したいのは、後発パパ雑誌である「fam」だ。これかなりイケています。



 育児に積極的に参加し、なおかつ自分の趣味も楽しむような理想の父親像が提示されています。



 カッチョ良すぎてめまいがします。
 この、子どもとお揃いの迷彩柄のパーカー、本気っぽいフィッシングベスト、そして子どもより短いショートパンツ。ホントに君はその手でイソメとかつけるのか?

 はい、次のカッチョいい写真。



そのポケットに突っ込んだ左手はなに!?こんなお料理、軽くやっちゃうよ的な余裕?
 そんなに手軽にできるなら「土日にはこれくらいやってます」的な雰囲気出してないで毎朝作ったら喜ばれるのに。(そんなトンデモなフライパン使わない方が手早く作れると思うけど…)

 ファッションは置いといて記事について。
 「おしゃれパパの一人の時間」「scene1 顔なじみのカフェでおいしいコーヒーを」「scene2 開放感のある浜辺でレンズを構える」
 
 


 ひとこと言っていいか?サボってんじゃねえ!

 そして、表紙にも載っている一押し記事(?)の「あの漫画のヒロインの育て方」。愛娘を理想の女性像に育てる!とかいって、出ているヒロインの人選が凄い。



 スラムダンクの赤木晴子、ドラゴンボールのブルマ、タッチの南ちゃん、野田恵、そしてエリアの騎士の美島奈々の五人。なんとも女子マネージャー率の高いこと。厳密には赤木晴子はマネージャーじゃないのかもしれないけど、キュートな癒し系とか家事はなんでも完璧とか、娘をそう育てたいというのと、自分がそういう女の人が好きというのは違うと思うよ…。


 そしてグッズの紹介ページより。



 なんだこりゃ!「シエスタの国スペインから来た、どこでもうたた寝できるかぶる枕」だって。「デスクに突っ伏してもよし、床に転がってもよしと寝方は自由だ」と書いてあるけど、どう見ても自由に見えない。窒息しそう。お母さんが帰ってきて、子どもと父親がこの姿だったらすげービビると思う。
 この雑誌おもしろいからこれからも買おうと思います。
 

 まあ、こうして見ていると、いかに「イクメン」という概念自体が上っ面の理想像であるかが分かる気がする。とにかくもっと現実を見ろと言いたい。
 
 え?僕ですか。そりゃダースベイダーみたいに我が子の最強の敵として君臨しつつ、最後は身を呈して子をかばって死にたいですね。
 

2014年10月8日水曜日

娘とプリキュア新聞

 僕は 、自分が夢中になっているものを親にほぼ一切否定されずに子ども時代を過ごして来た。さすがにファミコンのやり過ぎはダメだと言われ、世間一般がそうだったように時間制限はあったものの、何はくだらないとか、これはダメだとか言われた覚えはない。一緒に同じマンガを読んだり、映画を観たり、ゲームをしたり、似た映画や本を紹介してもらったりもした。
 僕も娘に対して、そうありたいと思っている。できるだけ一緒に観て話題を共有したり、映画やライブに連れて行ったりするようにしてきた。だんだんと義務的にではなくて、一緒に楽しめるようになってきたと思う。
 
 さて、いま娘がハマっているものといえばプリキュアである。恋愛やお化粧のシーンが出てくる度に「これはちょっと、どうなんだろう…」とも思うのだが、女の子がそういうものに憧れること自体を否定するのはおかしいし、まだ3歳なので意味が分かっていないことも多いので、目くじら立てずに付き合うようにしている。
 自分ではセーラームーンとか、クリーミーマミとか、女の子マンガをまったく観て来なかったので、「そうかぁ…女の子はそうなのかぁ」と認識が新たになる日々を送っている。

 プリキュアの映画が今週末に上映されるので、当然行って来ようと思っている。前にゲーセンのことで書いたけれども、僕は娘と二人で映画館に行き、事前に手に入れておいた前売り券で入場し、「なっちゃん」の一番大きいやつと甘いポップコーンを買って、二人で観るという行為そのものにとてつもなく大きな魅力を感じている。
 今回は、映画館を観たあと階下のゲームセンターでプリキュアのゲームをやり、マクドナルドでハッピーセットを食べ、31アイスクリームを食べ、そして同じビルの中のSeria(新しい100均)でハロウィンの飾り付けや衣装などを買うという完璧な計画を立てている。
 
 映画の公開に合わせて毎年、日刊スポーツの増刊で『プリキュア新聞』なるものが発行される。お父さんに向けて作られた新聞で、娘と一緒にプリキュアを楽しめるようにキャラクターの説明が書かれていたり、監督がこの映画を観た子に何を伝えたいかインタビューがあったり するのだ。コンビニの新聞置き場に、「星野監督辞任」とか「錦織V」とかのスポーツ新聞や夕刊紙と並んで「プリキュア新聞」が売られている。圧倒的なピンク色である。
 僕は迷いもせずそれを手に取り、名札に「研修中」のわかばマークがついた高校生の男子店員に渡した。
店員さん:「あの、飲み物(ウーロン茶)と一緒にお入れしていいですか」
 … …むむ、僕のことをマニアだと思っているな。そういうことでムカーとかするコレクターだと思っているのか。まあ、仕方が無い。僕:「いいですよ」
店員さん:「あっ、入らないので別の袋にします」
 ……いちいち断らなくても。クレーム言われたら困るからこんなに緊張しているのだろうか。
店員さん:「あの……少し折ってもいいでしょうか」
 ……そりゃ、折らないと入らないよ!僕:「いいですよ」

 今年の夏、娘と池袋のプリキュアカーニバルに行った時点で、もうマニアの人(大きなお友達というらしい)だと思われることは覚悟しているのだ。というか、そういうのってだいたい自意識過剰だしね。でもそんなにプリキュア新聞のコンディションにこだわる人だと思われちゃうのはどうなんだろう。

 そんなこんなで家に帰り、娘に「じゃーん」とかなんとか言いながらプリキュア新聞を見せてみた。「きゃー!」「プリキュアだー!」「しゅごい!」など、大喜びして新聞をめくりはじめた娘。まあ記事は読めないけれど、よその子がプリキュアの格好をしているのを眺めたり、映画の絵を見て「ぜったい観に行こうね」とか言っている。買って来てよかった。

 しかし次の瞬間、娘はプリキュア新聞についていたポスターを破りはじめた。真ん中からビリビリと。「え!?」
 「なにやってるの!?」「どうしたの!?」 と僕が慌てて聞くと、娘はわーー!と大きな声を出して泣き始めた。これは機嫌が急に悪くなったり、何かねだったりするときの泣き方ではない。最近するようになった「本当に悲しいときの泣き方」である。大粒の涙をポロポロこぼして泣いている。

 なんでも、娘はピンクでキラキラしたプリキュア新聞の紙をびりびり破り、セロテープでつけて「おようふく」を作りたかったらしい。そういえば娘と新聞を切って帽子をつくったり、スカートやワンピース状のものを作って一緒に踊ったり戦ったりするという遊びを以前やったのだった。それを思い出し、娘としてはこんなにきれいでプリキュアまで描いてある新聞紙で服を作ったら、さぞや楽しめるだろうと、そう思ったのである。
  そして泣いたわけは、僕があまりに慌てて尋ねてしまい、自分の意図が全く伝わらずに買って来たものをただ粗末に扱ったと思われたから、のようである。

 もちろん怒った覚えは全く無いのだが、僕の「 なにやってるの!?」の中には、 「なんでせっかく買って来たものを大切にしないの!」という非難の色が娘には感じ取れたのだろう。僕がどういう気持ちでいるのか、ということには娘はすごく敏感なのである。まして子どもって自分が疑われたり、誤解されるということには弱いと思う。
 
 スタンドバイミーでリバーフェニックスが、ミルク代をお前が盗ったのかと担任に言われた時、自分をまず疑ったということにショックを受けるシーンがあるじゃないですか。主人公に泣きながら告げるやつ。でも、盗んだのはリバーフェニックスなの。やっぱりお前じゃないか!という前に、大人が自分のことを、ロクでもない人間だと見ている事実がとんでもなく悔しいのだ。
 
 親子だし、僕は常に仕事から 1秒でも早く帰って娘と過ごしたいと思っているから、気持ちのすれ違いや衝突もある。すぐに「そうだったんだね」と理解することはできたから、娘も安心したようだ。
 娘でなくても、仕事でも、また誰に接するのでもそうだけど、まず相手の行動をマイナスに捉えていることが伝わるような反応を、反射的にするのは良くないとつくづく思った。

 いや、これはコンビニの研修中店員の高校生があまりにも丁重に扱うせいで僕の意識化に、プリキュア新聞が大切なものであるという認識ができあがってしまったせいだ。
 あの高校生のやろー!ただじゃおかねえ。ということにしようかな、いや無理があるか……






2014年9月29日月曜日

娘とゲーセンに行く素晴らしさについて。

 ヒマを持て余している娘と車に乗ってゲームセンターに行って来た。壮絶なるイヤイヤ期を経て少しずつ成長しつつあるのかな…という3歳の長女。
 僕の父は長女を「女帝」と呼ぶ。まったく物怖じせずに無理を通しまくる態度と、それでも父や僕をして数々のおもちゃや果物や洋服をプレゼントさせずにはいられない存在感が、この異名の所以である。
 
 さて、車に乗り込むや「プリキュアの曲。」とリクエストする女帝。述語はない。彼女用のCDRをカーステレオに入れながら「何を聴く?」と訪ねると「えりえんど、ともだち」という。「永遠の友達」である。舌足らずなのと、プリキュアの歌詞なんて全部意味が分からないのに音だけで言葉を覚えているのでこうなるのだ。ちなみに「ラブリー、プリティ、イェイかわいい」は「ダブリピーピーイェイかわいい」である。
 
 そんな舌足らずが一所懸命歌う声が運転席後方のチャイルドシートから聞こえて来る。「ときをーこえてーちからあわーせー、ちゅーなーがーるきじゅーなー」

 それだけでもう限りない多幸感で僕などは胸がいっぱいになる。
 ただプリキュアの曲って、女の子ものとはいえ正義の味方だから、歌詞は全部ド正論なんだよね。全く意味わからず歌っている声とあまりにもアンバランスで笑える。
 まあ僕も子どもの頃、スカイライダーの歌が好きだったけど、「君は何に賭け、何と戦うか 」とか意味不明だよね。
 さて、やっとルールや操作が飲み込めて来た様子の娘がやるものは決まっていて、プリキュアのカードが出る ゲームである。アンパンマンのゲームがあればそれもやる。
 娘が自分と一緒にゲームセンターに入って、100円を入れて椅子に座る。その素晴らしさとかけがえの無さが分かるだろうか。

 かつてゲームセンターはもちろん僕らの理想郷だった。僕の年齢だと、「不良」に紛れてこっそりゲームしてた時から、ファイナルファイトで人が増えて、スト2で一気にメジャーになって、バーチャやUFOキャッチャーで出入りする人がほぼそう取っ替えになって、プリクラが溢れて閉め出されて…という時期を目の当たりにしているわけだけれど、やっぱりそこは僕らのゲームセンターだ。

 僕は別にモテなかったから、「ガールフレンドとゲーセンに行く」などという大それたことを初めてしたのはかなり後だ。やるのがシューティングやアクション、格ゲー、たとえプライズゲームにしたって、とにかく僕らは1クレジットに如何に集中し、どう自分の感覚を研ぎすまして行くかという作業をしていたわけだから、彼女と遊びに行ってそれをする神経がもう分からなかった。
 バーチャぐらいからかな、あか抜けた服装をした大人が派手な格好の彼女を連れて来て、しかもけっこう上手かったりして、なんだこの人たちは…と思ったのは。でも、ああなりたいとか、上手くなったら彼女ができるとかは思わないよね普通。そういうのは「別な人類」という括りだった。
 
 まあとにかく彼女とゲーセンに行くというのは僕にとっては裏切りみたいな行為で、最初は何だか後ろめたい気分になって、プライズしかやらなかった。あとはクイズゲームとかね。二人でできるものとか、二人で楽しめるものだけ少しやって帰る…みたいな感じだった。それでも自分は彼女とゲームセンターに来ているんだ、思えばはるばる来たもんだという感懐はあった。

 さて、3歳の娘とゲーセンに行くのは彼女の場合と何が違うか。年齢…というのもあるだろう。若いコはやはり良いものである。
 大きく違うのは、僕がゲームを全くやらず、娘のやるのにカードを用意してあげたり、お金を入れてあげたりするというところか。じゃあ僕は女の子が一所懸命ゲームをするのを隣で見たかったのか?僕はゲーセンに連れられて行って、隣の席に座りたかった…?倒錯なり転倒なりが起こっているのだろうか。なにはともあれ同時プレイじゃないのに二つ席を使っていると店員やゲーマーににらまれるんじゃあるまいか 。

 娘とプリキュアのゲームを何度か連コインしたあと、ふと思った。きっと僕の父が子どもの僕を映画館に連れて行ったとき、マンガを買い与えた時、あるいはこんな気持ちになったかもしれない。そこには形はないけれど確かな伝承とでもいうべきものがあったに違いない。それは釣りであったかもしれないし、祭りやキャッチボールであったかもしれない。
 
 先日、娘と足を運んだきゃりーぱみゅぱみゅのライブの時の感覚、3月に二人で行ったプリキュアオールスターズの映画 で座席についたときのあの気持ち。その正体が分かった気がする。Carry on my wayward daughter .