2015年3月21日土曜日

親の夢を子に託してみた…

 慎重な性格で得をすることって、世の中にあまり無い気がする。
 他の人が特に考えもせずにやっていることを、あーでもないこーでもないとじっくり考えたりすると時間のムダだ。それは分かっているのだが、何かを話すにも「こう言った方が伝わるかもしれない」とか考えてしまう。家に帰ってきてから「あの場面ではこういう表現をしておいた方が誰も嫌な思いをしなかったかも…」などと一人反省会が始まってしまうこともある。

 自分の娘には、そういった部分で物怖じしたりクヨクヨ考えたりする性格にはなってほしくないと思っている。別に話なんて深まらなくてもいいから、騒いだり、その場のノリで明るく楽しくやれる女の子になってほしい!

 そこで、娘と二人でトレーニングをすることにした。自宅のHDRにいつの間にか録画されていた「BSハイビジョン世界の美しい街」とか、そういう深夜にやっている、ナレーションも何もなく淡々と風景を映しているだけの番組を見て、「ただ騒ぐ」ということを娘と二人してやってみたのである。

 どーでもいい音楽に載せて、ただベネチアの街の静かな様子を流している番組に、親子二人してツッコミや合いの手を入れたり、バカ騒ぎをするのである。
僕「よっ!待ってました!本場イタリアのチョイ悪おやじ!セニョール!ジローラモ!」
娘「これは、川ですねぇ。川で……おふねにのるのかい!」
娘「またおふねだ!アンコール!アンコール!」
僕・娘「ちゃっ、ちゃちゃっ、ふー!」

 連れ合いには「何をやってるんだ…」と呆れられたが、あなたには分からないだろう。セニョールがスペイン語なんじゃないかという不安にもかかわらず、そこを慎重にならず口に出すほどの決意を秘めた私の心の内が。
娘にだけは私のような人生を歩ませてはならぬという親心から早期教育に乗り出したのだ。ここで気後れしてはならぬ。数年後、美しく成長し、たくさんの友達に囲まれた娘が感謝する姿が目に浮かぶ。

 さて、娘の「ごっこ遊び」では、そういった瞬時のコミュニケーション(なんにも考えずその場のノリで言葉を生み出す)能力が試される場である。父親としてしっかりと応えてあげなければいけない…
 だが、男の子のヒーローごっこ遊びと、女の子のプリキュアごっこは似て非なるものだ。具体的に言うと言語体系やシナリオが違う。
男の子であれば、「○○ビーム!」「うわぁぁぁ!」「××がえし!」「なんだと!○○ビームがきかない…」「ふはは、めいどのみやげにおしえてやろう!わしのじゃくてんは…」とか、まあ、そんな感じでやってればいいのである。

 しかし、プリキュアの場合は「きゃあー」とか言ってやられて、変身が解けたりなんかして、その後いろいろ苦しそうに独り言をしながら、「いままでの私たちはあきらめてたかもしれない。……でも、いつも前を見て、けっしてくじけないの!」とか何とか言って、とにかく心の持ちようだけでいきなり強くなったりするのである。
そこが実に難しい。

 また、男親にとって最大の関門となるのは、女の子の「ステキパーティーごっこ」である。「わたし、マカロンを持ってきたの」「わーカワイイ」とかそういうやつ。
無理。


 娘「アナ雪ごっこしよう!わたしがエルサ、おとうしゃんはアナね」
 父(……)
 娘「どうしたの?はやくはじめてよ!」
 父(……どうしたらいいんだ!)「あのー、わたし、この今日初めて会った人と結婚しようと思うのですが、どう思います?」(アナ雪を真面目に観ていないからセリフもよくわからない)
 娘「けっこんはみとめません」
 父「あ、そうですか…常識的に考えたらそうですよね。(娘)ちゃんも変な男といきなり結婚とか言わない方がいいよ。みんなが悲しむことになるからね…」
 娘「ちゃんとやって(怒)!」

 アナ雪って何がどのように女の子の心に引っかかってくるのか、まだ理解できていない。何度もDVDが家で再生されているにもかかわらず、女子の魂を持たぬ父親にはセリフどころか歌さえも頭に入ってこない。風呂で娘が主題歌をうたいだしたので一緒に歌っていたら
 「とまーどいー傷ーつきー、だれにもー知られぬーようにー♪」
と言って、「だれにも打ち明けずに、だよ」と間違いを指摘された。確かにこれではヒサヤ大黒堂であると気づいた。

 いくらツッコミや合いの手のトレーニングをしようが、ごっこ遊びに参加しようが、30代も後半にもなれば僕自身の考え方や姿勢は改まらない。
 それじゃあできることは、娘の観るテレビや映画をきちんと一緒に観て、そしてセリフや状況を覚えて、色んなパターンに対応できるだけの貯えをしよう…ごっこ遊びに誘われたら、覚えたことを使えばいいのだ、と気づいた。楽器にたとえると、アドリブの苦手な人がたくさんのフレーズを覚えて、引き出しからひとつずつ出して順番に使っていくように…。


 プリキュアでは、「愛など無意味」とか言っているイケメンのラスボスが、「それでも愛の力は無敵だよ」と言い続ける主人公にいきなり抱きつき、「では、オレを愛してみろー!」とのたまうメチャクチャな展開があった。
 それを観た後、悪ノリをして「では、オレを愛してみろ―」と娘をだっこしてみた。
 娘は爆笑して「がぶー!」と言いながら、僕の肩を噛んだ……。

 もう、プリキュアがどうとかじゃないんだ。役作りとか、セリフ回しとか大切じゃないんだ。その場が面白ければそれでいいんだよね。慎重派は、ノリの良い人間には一生勝てないと悟った。
 ただ、娘が後者になりつつあるのを喜べばいいのだ。

 
 娘が順調に育っているのを再確認したできごとがあった。
 先週のことである。娘の通う保育園で卒園式があった。三歳児は基本的に参加しなくて良いのだが、「どうしても行きたい」と言うので一緒に行った。

 娘の担任の先生にあいさつすると、「あ、(娘)ちゃん……おはよう。あの、お父さん、もし飽きちゃったら2階の方に…」
 なにそれ?うちの娘がいると雰囲気ぶち壊しってこと?
 しかも会った瞬間の「来たのか…」っていう苦笑いは、なに?…と一瞬思ったが、担任の先生やクラスの子たちには普段からうちのエキセントリックな娘がさんざんメーワクをかけているだろうから、仕方ないか。

 式が始まり、園児が竹馬に乗って入場してきた。日本古来の遊びを押す保育園の方針なのだ。
 一人ひとりを見ていたら竹馬の高さが違って、「いちばん高い竹馬は私のよ!」とかそういう、せめぎ合いがあったのだろうなーとか、どうしても怖がる子が一歩を踏み出せた瞬間ってやっぱり感動的だったんだろうなとか、色々考えてしまった。 
 それよりも、自分の娘が3年後にブレザーを着て竹馬に乗っているところを想像したら涙が……
 そんな親の思いはさておき娘はマイペースで、あれは誰のお姉ちゃんだとか、小学生になっても遊びに来るらしいとか僕に説明を始めた。

 卒園証書の授与が始まった。
 園長先生が感動しているのか花粉症なのか、人前で字を読むのが苦手なのか分からないが、たどたどしく証書の文を読む。

「○○さま、あなたは6年の保育を無事終了し、丈夫な体、豊かな心、考える力を養いました。平成26年3月15日○○保育園、園長○○」わーという拍手、カメラのフラッシュが光る中で、園児が証書をもらう。いいものだ。
 続いて二人目。「△△さま、あなたは6年4か月の保育を無事終了し…」
 ああ、保育園は子どもによって預けられる時期が違うから、保育の期間が変わってくる。だから文面が一人ひとり違うのね…。
 そう思って、目の前で証書をもらう子は生後半年くらいで保育園に来たんだなーとか想像していたら、また涙が…。よその子なのに。
 園長先生はその後も証書の文を読み続けた。「丈夫な体、豊かな心…」ああ、園児が12人くらいしかいないから、「以下同文」にしないんだな。一人ひとりを大切にするからこそ、省略はふさわしくないのだ…。と、そう思った時であった。
 あろうことか、うちの娘は感きわまる保護者たちの後ろでこう言い放ったのだ。
 「ぜんぶ読むのかい!」

 娘をかかえ、別の涙を流しながら大急ぎで式場を出た。
 娘よ、違うんだ。それは色々違う。
 とんでもない怪物を育ててしまうのではないかと不安に思えてきた。

2015年3月1日日曜日

久々にスタジオ練習してきた。

一ヶ月ブログの更新を休んでしまったが、ライブでやる曲の編曲にずいぶん時間がかかった。全部新曲をやるというわけじゃないのにどうしてこうなったのかというと、練習をちょっとずつでも並行してやらないと落ち着かなかったからだ。
 以前活動していた時の失敗として一番に挙げられるのが、ライブ直前まで練習以外のバンド運営上の作業ばかりやっていたこと。早く「弾ける」状態になっていないと不安で…
 順番としてはやはり、編曲をちゃんと急いで仕上げて、それから練習するのがメンバーに対しても優しかったよなーと思う。そりゃメンバーには既成の曲を先に練習してもらっておけばいいんだけど、曲がちゃんと全部決まってないと全体像がつかめなくて、バンマスだけがそれを分かっているという危険かつメーワクな状態に陥ってしまう。

 社会人になってバンドをやっているわけだから、時間の使い方を考えるのが一番大切だと思う。何をどんな順序でやって、何に注力するかはよく考えないと。(僕の仕事はそれほど忙しくないし、もっともっと子どもに手がかかる家庭だってあるから、僕自身は時間が無い方ではないと思うけど。)
 10年前から聴いてくれている人には「ゆっくりでも細々とでもいいので、活動を続けていてほしい」と言われた。バンドをしっかり続ける鍵は僕らの場合、やる気の維持とかより時間の使い方だと思う。メンバー間の不和とか音楽性の違い(?)とかも無いしね。メンバーはみんな僕が無茶なことを言い出しても聞いてくれるし、時々お菓子とかを渡しているから大丈夫だ。


 さて、今回は地元のスタジオに入ってみたのだが、あまりにも久々だったせいで行くだけでワクワクしてしまった。実は活動を休止していた間も、妖星乱舞を一曲合わせるためだけにメンバーとスタジオに入ったりはしていたんだけど、ライブをするという目的では本当に10年ぶりのことになる。

 店内はバンドのレコ発やライブ告知のポスターがべったべたに貼られていた。
 メンバー募集とか楽器の講師やりますとかを眺めていると懐かしい気持ちになり、自販機に入っている7UPとかを見ても、ああスタジオだなぁという気がしてしまう。気分に合わせてコーラを買おうかなと思ったが、どうせ飲みきれないからやめた。
 受付に行くと店主がいないらしく、そこにいたバンドの人が「もう帰ってくるからちょっと待っててください」と言われた。この店と客とのナアナアな関係も懐かしい。
 待合室に座っていると革ジャンを来た人が機材をゴロゴロ転がしながら入ってきて、「おはようございます」とか言っている。昼過ぎなのに。
 おはようございますってことは、今起きたってことでしょう。君たちは寝てないことをアピールするのが半分仕事みたいなものなのに、いま起きたのかね!…と心の中で説教をしてみた。

 「⚪︎⚪︎(バンド名らしい)の××さん、ベースマガジンに載ったらしいっすよ」「ふーん…」
という会話が聞こえてくる。そりゃベースマガジンに載ったらうらやましいのに違いないんだろうが、ウソーマジースゲー!とは言えない。興味ないですよと聞き流さなきゃいけないのがアマチュアバンドマンというものだと思う。

 
 今回スタジオに入ったのはリハーサルの意味ではなく、音作りのためである。今度のライブはPAの設備がある場所ではなく、音量も限られてくるので、大型アンプを持ち込むわけにはいかない。録音では30年前の真空管のアンプを使っており、今後もそれでやることにしている。けれど、アンプは今までもライブハウスにあるものを使っていたので、同じようなものと考えるようにした。そこにこだわっているとライブ自体できないし。
 それと、デジタルのアンプを使っても、そこに必要以上にコンプや空間系のエフェクターがかかっていなければズルをしている気にはならない。そこに関しては、今日たくさん音を出したけれども、今回使うもので間違いは無いと思う。

 ライブでやる曲の中から、2曲を合わせてみた。ギターが二人、同じように歪ませてリードとバッキングを弾くので、音が埋もれたり、ひとつひとつのフレーズで何をやっているか分からない部分が無いように見ていった。
 ギターインストはリードギターが歌みたいなものなので音が小さかったら何を聴いていいのかわからなくなる。だが、思い出してみるとうちのバンドは練習で各人がさんざん爆音を出しておきながら、ライブではみんな音を小さくするので僕の音だけがでかくなった…ということがよくあった。
 ライブで自分の音が聞こえないんだったら、そのメンバーはベニヤ板の書き割りとかでいいと思う。もしくはビジーフォーのものまねで出てくる、手に棒がついた人形とかでもいい。だけど反対に音がでかすぎるのもジャイアンみたいではずかしいものだ。
 そういう意味で、音はきちんとバランスを保った状態で練習して、全員の音がそれぞれに聞こえる状態で、本番も同じようにしなきゃいけない。

 音が決まったので、少しだけ合わせの練習をしてみた。家で練習してきているので、そんなに間違えたりはしない。自分に関して言えば、子どもが寝てからこっそり練習するので、以前よりもずっと集中できている。この時間を有効に使わないと!とか、やっと楽器を触れる!という気持ちが強くて、曲を覚えるのも弾けるようになるのもずっと早くなった。
 ただ、完成度としては譜読みが終わっただけで、まだまだだと思う。たぶんこのままライブを迎えたら、ドラムに合わせて音符をなぞるだけになって、音ゲーみたいにターゲットが上から降ってきてラインに合わせて正確に音を合わせるだけの作業になってしまう。
 ボブと音を出しながら、「ここは弦がピックアップにバシバシ当たって余計な音が出るように弾いて」みたいなことをちょっと話せたけれど、少しずつそういうところを詰めていこうと思う。個人としてはもっと弾き込みが必要なのはもちろん、余裕で弾けるけど余力をグリッサンドとビブラートと倍音につぎ込んでいる感じにしていきたい。楽しくなってきた。
 練習を一所懸命していてもブログを放置しているとよくないので、たまには更新していこうと思う。当日の企みごとも色々したいし。


追伸:誰も書かないと思ってチェックすることすら忘れていたweb拍手にコメントが!ありがとうございます。
「ライナーノーツにアセルスのテーマが無いのは隠しキャラ扱いになっているのかと思いました。CDを裏返しにして再生すると出現、とか。」
今回のCD作りは自分としてはかなり余裕がある感じだったのですが、結局最後は切羽詰まって追い込み…みたいなことになってしまいました。やっぱりチェックに時間をかけることは大切ですね。アセルスのテーマ自体、アルバムのサウンドにバラエティが欲しくて、急遽「そういえばあれ、やりたかったじゃん」と録音したので、サンプルもアップしていません。ただ、けっこう演奏や編曲自体はメンバーにも気に入ってもらえたし、歌も前面に持ってくることができました。
 隠れキャラってワクワクしたものでした。ゴーデスに50連打すると涙が〜みたいな、漫画に使われたり、ガマパックンがシティコネクションの車に…みたいなのもあったりして、本当とウソとが紙一重の宝探し感があったと思います。(いま娘が見てるアナと雪の女王に隠れミッキーが…とか言われると心底どうでもいいと思うのに、自分は夢中になっていた)CDを特定の曲順で聴くと出てくるとか、プレイヤーに入れる前にスハダクラブみたいな暗号を入れるとか、いいですね。
 そういえばコミケで売っている時に、イトケンの曲が好きーという人がいて、曲を見て「バトルじゃないの…」という感じだったので、イトケンバトル分はライブで!と思っています。