2016年3月26日土曜日

ギターをもう一本買ってみようかな。

 僕が現在メインで使っているのはGibsonのFlying Vである。メインというか、マトモに使えるエレキギターはこれしか持っていない。ギターを始めた時からこれだったし、ライブも録音も全てこれ一本でやってきた。

 昔はヤングギターなんかを見ていても、僕が好きなギタリスト達はみんな「メインはこれ一本」と決めていた。たとえば、トニーアイオミであれば、このJay Deeとか。


 愛機に対する全幅の信頼ってやっぱり憧れるじゃないですか。自分もこのくらいボロボロになるまで弾きたいと思ってギター買うよね普通。
 橘高文彦だってどんなに煌びやかな衣装を着ていたってボロボロのフライングVを弾いている。マイケルシェンカーだってライブ中ブチ切れて破壊しなければ今も「4」って書いてあるフライングVを使っていたかもしれない。
 だけどそんな伝説のギタリスト達でさえ、最近は新しいシグネチュアモデルが出たり、最新鋭の楽器に持ち替えたりしている。やっぱり昔のギターは昔の音がするものだ。ロックをやっていて聴いた瞬間に迫力不足だと感じられたら勝負にならない。また、ヴィンテージ系の音を出すバンドでさえも、メンテナンスや録音の利便性から新しい楽器を使うことも多いだろう。
 
 僕に関して言えば、当然のことながらプロではないし、昔好きだったギタリストのように「俺はこれ一本」でいいと思ってやっている。これからもメインのギターを変えるつもりはない。
 しかしここで問題が起こった。それは、今さら気づいたのだが僕の顔や風体がどう見ても「フライングVではない」ということだ!
 全然「フライング」な要素がなく、どこもかしこも「V」ではない。困った。

 誤解のないように言っておくけれど、フライングVというのは形に目が行きがちだけれど、音こそが唯一無二のものだ。同じメーカーの他のギターを使ってもフライングVならではの音は出ない。僕もフライングVの音が好きだから使っているのだ。だけど、世間一般の認知から言ったら、



こうなんだよ!

 使っているだけで、「若気の至り」イメージ抜群。実際、駅で外国人に絡まれたり、自分のバンドでない他のイベントなどに持っていくと(コレしか無いからだが)、「昔はすげー音楽やってたんすか?」「髪さかだてて?」「メイクして?」
……うるせーーー!!!
となる。


 ギターをやっていると自分のバンド以外で、たとえば余興をやってくれとか、連れ合いと弾き語りで人前に出たりとか、そういうこともある。僕は人前に出るために練習をすればどんな曲であっても絶対自分にとって足しになるし、ステージ慣れにもなるので、そういう機会は大切にしたいと思っている。だけどその度にFlying Vのパブリックイメージに悩まされるのだ。

 何年か前のこと。連れ合いの同僚が自分のバンドにギタリストを探していて、頼まれてライブに出たことがある。はっきり言って全然いい曲だと思えなかったけれど、自分がギターソロを弾くんならその部分だけでもめっちゃいい曲にしてやる!と思って、速弾きとメロディを歌わせる部分を組み合わせたソロを作って練習に臨んだ。

 その時もまず、ギターを出した瞬間にお決まりの会話が始まったのだった。そして何度も合わせて、バンマスもOKですありがとうございます本番よろしく!みたいな感じだったので、ニコニコして帰った。
 しかし、家に帰ったら急にそのバンマスからメールが来たのだ。「あの…やっぱりギターソロがイメージと違うので、考え直してもらえます?」と。
 はて、どういうところがどう気に食わなかったんだ?と思ったのだが、「メロディのある曲なんで、あんまり激しい感じのソロはちょっと…」と言うのだ。
 まあ、そういうのって音楽やっていたらいくらでもあることだけども、ひとつ疑問があった。そのバンマスが練習のとき自分が大きな声で歌うのに夢中で、弾き語りもコード見ながら必死にやってたので、あんまりソロなんて聴いていなかったように思えたのだ。
 その時は録音機材なんて持っていなかったので、ギターソロを打ち込んでメールに添付し、「では、こんな感じでどうでしょう?」と送ってみた。さも考えて変えてみたフリをしたが、練習で弾いたのをまったく変えずに送ったのだった!
 すると、案の定「すごくメロディックでいいですね!本番これでお願いします!」と返信があった…。
 主張を通すタイプのバンマスさんだったので、そこで一歩引いたようには思えない。やはり自分が歌って弾くのに夢中でギターソロなんて聴いてないのに、「フライングVは激しい音を出すはず」というイメージだけで「激しいのはちょっと…」とリテイクを要求してきたのだった…。で、あとでソロだけ改めて聴いたら「メロディックで良い」とか言うのだ。
 別に怒りも湧いてこず、こりゃーあとでネタにしよう…くらいしか思わなかった。まあ、もう大人だからね。俺も丸くなったものだゼー。そのバンマスに対して別にじじいふざけんなよ!とか全然思わなかった。もう全然。


 そういうわけで、その頃からお呼ばれしたとき用に変形じゃないギターを持っておこうと思ったのだった。
 最初に買ってみたのは同じGibsonの赤いSGだった。人間椅子の和嶋慎治も使っているし、音もFlying Vに近い。


 しかし、メインギターでもないのにそんなにお金をかけなくてもいいやと思った僕は、ヤフオクに格安で出ていたものをさっさと落札して手に入れたのだった。
 出番が近かったので仕方なかったこともあるが、これが安物買いのなんとやらで、ひどいギターだった。
 ギターのキズ自体は大して多くないんだけど、ネックとボディの間に亀裂が入っていた。そして、ヘッドも折れかかって変な接着剤でつけたような跡があったのだ。あまりにもひどいので返品しようかとも思ったのだが、よく見ていると大して弾き込まれた様子もなく、何度も落としたか、叩きつけたりしないとヘッド&ネック折れなんてことにはならないと、なんだか可哀想になってきた。
 暴力を受けた楽器を保護したつもりになったのと、まあネック折れなんてマイケルシェンカーファンにとって見れば大したことないやと思い直した。

 そこで行きつけのリペア屋さんに修理を頼んだ。これは……大変な目に遭ったギターですねと言われたけれど、接着剤がトラスロッドのところまで流れ込んでいたのをきれいに取ってもらい、調整もしなおして、一応使えるギターになった。本当にヘッドをしっかり直したら4万円ほどかかるようで、そうすると手に入れた値段を超えるので、そこまでする必要はないか、セカンドギターだし…と思った。ところが…
 そのあと、しばらく弾いていたら何もしていないのにペグ(ヘッドについている弦を巻くネジ)がポロっと落ちた!
 もうやだ!まともなギターが欲しい!

 と、思ったのが今の時点である。ボロボロSGは一応、直そうと思ってペグも新しいのを買ってあるが、次にどこが壊れるか分からない。

 今のところセカンドギター候補として考えているのは、
 ・変形じゃないギター。できればストラトシェイプで、善良なイメージを与えるもの。
  (やだあの人、メタル!?と思われないことが重要)
 ・アーティストモデルではない。
  (ギターに特定のイメージがあるとロクなことがない)
 ・赤い
 ・メタルな音が出せる。
 
 と、まあこんなところである。ギターは赤いのがカッコいい。これはもう絶対。他の色とか買う気起こらない。
 そして、メタルな音が出せないとギターを弾く意味自体がない。なぜならハードロック/ヘヴィメタルはこの世で一番優れた音楽だから!他の奴は演(や)るが、俺は殺(や)る!
 どんなジャンル、どんな場面であろうがオーバードライブしたエレキギターの音が最高だということを知らしめてやろうと思います。
 あのバンマスじじい許さねえからなこの野郎!
 

(今回は口が悪くてすみませんでした…)

2016年3月20日日曜日

心に自信を呼び覚ますPV


 あるギターの教則本だか雑誌だかで、「あなたがステージで思い通り弾けないのは何故かというと、失敗を恐れる心があるからだ!」というのを目にしたことがある。当たり前だろうが!
 昔、じゃんぷるの最悪に面白くなかったコーナーで、「暮らしの便利帳」ってあったでしょう。「うきわには空気を入れると便利ですよ」とかそういうやつ。ギター講師だかプロだか知らないけど、あなたの言っていることは、じゃんぷるに投稿している小学生と同じレベルですよーだと言いたくなる。それに、悟ったような口ぶりで人の心の持ちように問題があるようなことを言ってるのはヤダよねぇ。

 失敗を恐れてばかりいる僕が、自信を持っていこう!というときに思い出すことが二つある。ひとつは、小学校時代の出来事である。
 六年生のころ、運動会の鼓笛隊にクラスから何人か選ばれることになった。早めに声変わりして音楽の授業が大嫌いだった僕だったが、なぜか音楽の先生のはからいで小太鼓に選ばれた。そして同じく音楽がニガテな友達の小泉君はグロッケンを担当することになった。毎日放課後に残って練習をしていたのだが、合奏になると小泉君の音は非常に小さかった。はたから見ていても顔がこわばっており、子ども心に「自分は小太鼓だから音階が無くてリラックスできるけど、間違った音を叩く可能性のあるグロッケンは可哀想だな」と思っていた。
 そんな時、音楽の先生(定年間近のおばあさん先生だったが、天空の城ラピュタのドーラのような迫力があった)は、小泉君のグロッケンを「ほれ、貸してみな」と言って取り上げた。何をするのかと思ったら、みんなに合奏をさせて、力一杯にたたき出した。そこまでだったら、お手本を見せる普通の指導なのかもしれない。その先生が変わっていたのは、小学生もずっこけるような「絶妙に間違った変な音」をわざと、しかも力の限りでかい音で叩いて、しかも平然とした顔をしていたところだ。
 ちょっとぐらい音を間違えようが気にするな、音が聞こえなかったら君がいる意味が無いんだから。堂々とやれ。
 …と、そんなことを言葉を使わず小学生に納得させてしまったのだ。ベテラン先生のノウハウの一つなのかもしれないが、がぜん勇気を出して叩き始めた小泉君を見ていたら、僕らにとっては魔法のようだった。

 さて、僕がもう一つ思い出すのは、昔から大好きなボーカリストのPVである。
 バンドで担当しているのはギターなので、本当は自信満々で弾いているギタリストの映像を見た方が良いのかもしれない。でも、なぜか僕にとっては超絶ギタリストのパフォーマンスより、歌の方がずっと勇気をもらえるのである。特に、以下のような条件がそろったボーカリストが良い。

 その1 俺の(私の)表現はこれだ!もうこれしかねえ!という迫力と「つぶしの効かなさ」がある。
 その2 誰にもマネできない、または誰にもマネしたいと思われないオリジナリティがある。
 その3 内面から満ち溢れてくる何かを外に向かってものすごい勢いで発散しているせいで、ちょっとおかしなことになっている。
 その4 歌詞と同じくらいに顔で語っちゃってる。

 さあ、音楽をやっている人もやっていない人も是非観て欲しい。きっと俺は俺らしくやっていこうと思えるはずだから。
 

Cathedral - Hopkins (Witchfinder General)

メタル部門:Cathedralのボーカリスト、リー・ドリアン。
クネクネした動きで一斉を風靡し、なぜか当時のメロデス勢のボーカルも相当影響を受けていた。メタルというジャンルは、たいていボーカリストは全身全霊で声を出し、とにかく一所懸命歌ってますよというのを仕草の中でも見せていくスタイルの人が多いと思う。しかし、彼の場合は声もアクションも合わせて一つの身体表現であり、それでバンドの世界観をあますことなく表現していると言えるだろう。
 見所は、魔女狩りの曲なのにイントロから超楽しそうに登場するところ。そして、3:33くらいの、ヒザ曲げジャンプして両手を内側から回すアクション。どうやったらこんなの思いつくんだろう。




Kate Bush - Wuthering Heights

女性ボーカル部門:我らが永遠のアイドル、ケイト・ブッシュ
ライブも凄まじいアクションだしPVもどれも素晴らしいんだけど、とりあえず一番有名なコレにした。まあアクションというか振り付けなんだけど、イントロでなんか変だぞと思わせておいて、フワーと立ち上がって、なんだこれは可愛くみせたいのか変に見せたいのかどっちなんだ!?と観る人をソワソワさせ、0:25で片ヒザが上がるあたりで、「あ…やっぱり変なんだ」と決定的になるのが素晴らしい。そして、0:35で目をカッと見開いて、だんだんこっちに寄ってくるのか!?こえー!となる辺りもいいですよね。
 そして、この目と口…。そうとう自信があって、自分のこと大好きで、と思う人もいるかもしれないけど違う。当時の彼女は自分の歌声に自信がなくて、だんだんとこういう、すっとんきょうな歌い方を脱して、後のアルバムではより自然な歌声になっていくのだ。振り付けに関しても、ステージ上で自由に動けないから、全部動きを決めておくためのものだという。この全身全霊のパフォーマンスが、自信のなさをカバーするものだというところも「失敗恐れ者」にとっては心強い。
 



The Rolling Stones - Start Me Up

男性ボーカル部門:ミック・ジャガー
 疑問に思うのは、ミック・ジャガーのアクションが何の影響を受けていて、何をどうしようと思ったらこうなるのか、ということである。
 コスチュームもすごい。なんなのこれ、紫の…レオタード!?イントロからビシっとポーズをとって、それが全然カッコよくなくて、そして前に一歩二歩と進んでくるのか!?なんだその不審な動きは!?
 この人はもう、すべての動きがキレてるもんなぁ。あと、もうこの顔で正面向いた瞬間に反則みたいなもんだ…。この曲は80年代だから彼も30代後半だけど、なんて落ち着きのなさだろう。多動としか言いようが無いよね。

 これらを観ていたら、たとえば僕がライブで1音はずして、うわー何やってんだ大事な音を、みんなにきっと下手だって思われる…とか、あれだけ練習したのに…とか、目の前にお客さんがいて演奏している最中にそんなこと思っちゃってるのがいかにクダラナイことかと分かる。自分が一番好きな音楽を、一番好みの音色で、自由な音量でやっているんだから、その間くらい好きなようにやったらいいんだよね。