2014年10月31日金曜日

バンドの今後について

 以前に活動していた時、作業していたパソコンがいきなり壊れてバックアップ取っていなくて、いやそもそも作業に時間をかけすぎなのがいけないんだけど、結局CDの完成を期日に間に合わせられなかったということがあった。
 それ以来、もともと僕は期限ギリギリにエネルギー大爆発するタイプなんだけど、メンバーは全員コツコツ少しずつ進めるタイプなので、このバンドに関してはとにかく前倒しで物事を考えて、慎重に進めるように心がけている。

 今回のCDについては僕が録り貯めていた曲に、ボブがバッキングのギターを録り直して、ミックスとマスタリングをやり直して、あと少し曲を足して、完成しようと思っている。その作業もかなり進んできていて、僕の手元にはほぼ完成という状態の曲が揃ってきている。
 ここでパソコンが爆発したり僕の腕がへし折れたりしなければ大丈夫だと思うんだけど…。
 
 失敗する可能性を考えていくと、最大の原因は僕の性質にある。「全部録り直し病」にかかってしまうのだ。録りが終わった段階でそれをipodなどに入れて何回も聴くので、「こりゃダメだ、こんなの人に聞かせたら末代までの恥だ…」みたいな気持ちになってくる。たとえば「リズムと音程を正しく弾く」みたいな分かりやすい尺度があればがいいんだけど、僕のいつも陥るのは「なんか違う」とか「感情が伝わらない」という曖昧なところだ。
 それで全体に余裕がなくなったり、完成がギリギリになってしまったりしては困る。もう今回は「その時いいと思って弾いたんだからこれでいいんだ」と思うようにした。弾いた瞬間の気持ちなんてきちんと覚えてはいないし、弾き直したらその直後は「きれいに直って良かった」と思うかもしれないけど、あとで冷静になって両者を比べたらどっちがいいかは分からない。
 それに、うちのバンドの場合はどんどん色んな曲を録って細々とでも活動を続けていくのがいいと思う。そして、一音とか二音にこだわるよりは、自分でも色んな曲を弾いた方が楽器や編曲が上手になれる気がする。

 …というわけで、いま録り直すのは最小限の5〜6箇所にしようと思っている。
 この三連休でメドレーの曲を録って、あとできればもう一曲やりたいけど、二次元人が無理そうだったら自分でミックスもやっちゃおうと思っている。こうして12月初旬くらいに完成し、CDをプレスに出したい。
 もうCDRを焼いて、ジャケットをプリンターで出してカッターで切って…ってやりたくないのです。自分の体が空くのは平日も土日も22:30以降で、それ以前は完全に長女に拘束されているので、そんなに遅くから内職みたいなことはできないよー…

 二次元人にはコミックマーケットに応募してもらっている。その当落が明日出るらしい。それを目指して作っていたのはあるけど、落ちてもとにかく同じペースでCDの完成までは進もうと思っている。気が抜けてもいけないからね。
 
 さて、それでできたCDを何枚作るかが問題だ。
 先週の日曜日、M3という音楽系のイベントに行ってきた。娘と遊ぶ約束をしていたので、会場には20分しかいなくてすぐ帰ったけど、雰囲気は知ることができた。
 いやー、びっくりした。レトロゲームでやっている人が以前に比べて少ない!なぜー?
 まあ好きでやっている以上、流行っているかどうかは全然関係ないし、以前もすごく好きになってくれる人が少しいて…というバンドだったけど、さすがに心配になりました。

 で、他に流行っているジャンルの、ボーカロイドとかビジュアル系とかアイドルとかのブースも覗いてきたけど、やばい!
 コスプレなどの格好をした人がガンガン客引きをしていて、迫力がすごい!気を抜いたら吸い込まれてて、ハッと気がついたら地下アイドルの、舞台がせり上がってくるときの下で歯車をぐるぐる回す一員とかになってそうだ。
 ああいうものと、僕らみたいなファミコンの音楽を弾いてますみたいなのが同じフロアにあって、こっちに人が来るのか、と。
  
 心配ばかりしていてもいけない。きっとファミコンの音楽好きな人は今も好きなはず。そして、アイドルとかコスプレに異様な迫力を感じたのも、僕が女の人を苦手なだけだと思うことにしておく。
 そういえば以前、ボブと新宿のトルコ料理屋に入ったらちょうどベリーダンスの人が来て店内で踊ったことがあった。ベリーダンスって、水着みたいな衣装で、腰をぐにゃぐにゃ動かすでしょう。ドラクエ3の、アッサラームの町で夜にやってるやつ。
 僕はまともに顔を上げられず、せっかくおいしいエスニック料理を食べに来ているのに、給食を残さず食べるよう強要されている小学生みたいな気持ちで下を向いて食べました。そういえばその時、ボブはお酒飲んでニコニコしながらダンスを眺めていたなぁ。あいつめ!

2014年10月26日日曜日

今も昔もみんなのうたが好きだ。

 みんなのうたが好きだ!もうこれには誰も異論ないことでしょう。

 60年代、子どもたちに歌の楽しみを伝えたようと始まった番組らしい。僕にも子どもが生まれたので大手を振って観られるようになった。
 たしかに今の放送を見ていると、うーん…という曲もある。ただ、そもそも昔を思い出してみたらそんなに全部が名曲という感じでもなかったような気がする。ジャンルも歌い手もバラバラだし、いろいろな音楽を子どもに紹介するという意味合いも強いだろう。放送されるどれか一曲でも子どもの心にひっかかるものがあればいいのだ。

 すごいのはそんなバラエティ豊かな曲のどこかに必ず「みんなのうたっぽさ」があるということだ。ジャンル:みんなのうた、みたいな感じで。
 普通のアーティストのCDを聴いていて、「なんかこれ、みんなのうたっぽいな」と思うことがあるが、そういうのは大体自分の好きな曲だ。

 一曲の中のストーリー性とか、音楽と映像の一体化というのは、考えてみれば自分の音楽的嗜好の根幹を成している部分だと思う。
 聴いていて映像が思い浮かぶ曲っていいじゃないですか。僕が筋肉少女帯とか人間椅子を好きになったのも、当時バンドブームという大きな流れはあったにしても、「詩人オウムの世界」とか「夜叉ケ池」にストーリーと絵を感じていたからだ。
 詩人オウムの世界なんて、詩人の言葉が風に乗って蝶の群れとなり…って、絵になったら絶対美しいでしょ。(あと、夜叉ケ池はホントにすごい曲なのに、そのPVがホントいけてない。)

 話をもとに戻して、今のブログはYouTubeを貼り付けることができるから、お気に入りソングを紹介しようかなーと思ったら、これがあんまりアップロードされていない。まあ、そうなるだろうね…。

 NHKのEテレにはお願い編集長というホームページがあって、そこでリクエストすれば昔の曲をかけてくれる。しかし50年以上もやっている番組で、好きな曲に当たるまでは気の遠くなるほど時間がかかりそうである。(それでも録画はし続けているけど)

 一応いまYouTubeにあるものだけでも…ということで少しだけ。

 ただし、みんなのうたには超A級有名どころから、入手難易度Z級みたいな幻の曲もある。今さら「メトロポリタン美術館」や「キャベツUFO」が素晴らしいとか「まっくら森」って怖いよなと言っても意味がないので、それよりはちょっと有名じゃないかもしれない曲の中から選んでみたい。


 最近の曲から、「誰かがサズを弾いていた」。
 見られない人はこちら。







 歌はヤドランカ(ALSを発症してボスニアに帰国したらしい…)で、映像(人形)はなんと宇野亜喜良。すげー。開始30秒くらいで観た子どものトラウマ決定!悪夢みたい。そして美しい。
 何年か後で大人になって「あれはなんだったんだろう」ってこの曲を思い出せる今の子どもがうらやましい。見ているとつくづく、滅びや死と安らぎは一体のものであると感じられます。

 では自分が子どもの頃の思い出の一曲を。
「ポケットの中で」
  見られない方はこちら。





歌は斉藤由貴、歌詞は銀色夏生、絵はやなせたかし。今、個人的にブーム到来中の80年代サウンドにちょっと抽象的で切ない歌詞。
 そしてこの絵がホントに素晴らしい。やなせたかしってアンパンマンというより、僕には「やさしいライオン」とか「チリンのすず」といった「なんでここまで子どもを悲しませたいの?」という絵本のイメージが強い。この歌ではそっち側のやなせたかしが、歌のコンセプトに合った(ちょっとマグリット風?)絵を描いている。
 いま改めて見ていると、誰も好きになっていないのに失恋していた子ども時代の僕の気持ちに優しく寄り添ってくれた曲だなーと懐かしく思われます。

 ああ、なんだか深刻な曲ばかりになってしまった。不条理系も好きなんだけど、地球ネコとかテトペッテンソンとかはYouTubeにはありませんでした。昔はトレロカモミロとかハメハメハ大王が好きな、朗らかな子どもだったこともあったのに、怖いのと暗いのが心に残るんだよなー。

 ところで、みんなのうたに影響を受けた人が今は曲を提供していて、畑亜貴の「図書館ロケット」とか、やくしまるえつこの「ヤミヤミ」も楽しく歌っていていいなと思う。あ、平井堅の「おじいぃさんのー、とけひぃい〜」、アレはやだ。



2014年10月22日水曜日

イクメン雑誌の怪

 ママ雑誌はジャンルが本当に細分化されていて、お母さんがどんな生活を志向しているのか、趣味が何であるのかによって色々と選択肢があるように感じる。うちは夫婦そろって雑誌が好きだから毎月いくつか買って、それを眺めては「こんなものが出たらしい」とか「こんなイベントやってるらしい」と情報を集めている。

 では、これだけイクメンという言葉が定着したいま、「パパ雑誌」はどうかというと、かなり極端で面白いことになっている。
 まずパパ雑誌というものは多分、二誌しか出ていない。
 
 ひとつが、「日本唯一のイクメン雑誌」とか言って華々しく創刊されたFQ JAPANである。これは、僕が買う雑誌じゃない。だって、まず表紙がジョニーデップとかネイマールとかだよ。「セレブイクメン」という言葉が当たり前のように使わるし、「リオネル・メッシの子育て」とか「デイビッド・ベッカム流、妻の愛し方」とか、参考にしたい父親って日本にどれだけいるの?あと、僕はリフティング10回くらいしかできないので、この雑誌を買う資格自体がないと思われる。

 今日紹介したいのは、後発パパ雑誌である「fam」だ。これかなりイケています。



 育児に積極的に参加し、なおかつ自分の趣味も楽しむような理想の父親像が提示されています。



 カッチョ良すぎてめまいがします。
 この、子どもとお揃いの迷彩柄のパーカー、本気っぽいフィッシングベスト、そして子どもより短いショートパンツ。ホントに君はその手でイソメとかつけるのか?

 はい、次のカッチョいい写真。



そのポケットに突っ込んだ左手はなに!?こんなお料理、軽くやっちゃうよ的な余裕?
 そんなに手軽にできるなら「土日にはこれくらいやってます」的な雰囲気出してないで毎朝作ったら喜ばれるのに。(そんなトンデモなフライパン使わない方が手早く作れると思うけど…)

 ファッションは置いといて記事について。
 「おしゃれパパの一人の時間」「scene1 顔なじみのカフェでおいしいコーヒーを」「scene2 開放感のある浜辺でレンズを構える」
 
 


 ひとこと言っていいか?サボってんじゃねえ!

 そして、表紙にも載っている一押し記事(?)の「あの漫画のヒロインの育て方」。愛娘を理想の女性像に育てる!とかいって、出ているヒロインの人選が凄い。



 スラムダンクの赤木晴子、ドラゴンボールのブルマ、タッチの南ちゃん、野田恵、そしてエリアの騎士の美島奈々の五人。なんとも女子マネージャー率の高いこと。厳密には赤木晴子はマネージャーじゃないのかもしれないけど、キュートな癒し系とか家事はなんでも完璧とか、娘をそう育てたいというのと、自分がそういう女の人が好きというのは違うと思うよ…。


 そしてグッズの紹介ページより。



 なんだこりゃ!「シエスタの国スペインから来た、どこでもうたた寝できるかぶる枕」だって。「デスクに突っ伏してもよし、床に転がってもよしと寝方は自由だ」と書いてあるけど、どう見ても自由に見えない。窒息しそう。お母さんが帰ってきて、子どもと父親がこの姿だったらすげービビると思う。
 この雑誌おもしろいからこれからも買おうと思います。
 

 まあ、こうして見ていると、いかに「イクメン」という概念自体が上っ面の理想像であるかが分かる気がする。とにかくもっと現実を見ろと言いたい。
 
 え?僕ですか。そりゃダースベイダーみたいに我が子の最強の敵として君臨しつつ、最後は身を呈して子をかばって死にたいですね。
 

2014年10月19日日曜日

ストーリーのあるPVが好きだ。

 以前パラメキア帝国というバンドで活動していた時は、曲はmp3などのサウンドファイルでアップするのが当たり前だったように思うが、ニコニコ動画やyoutubeなどを覗いてみると、本当に時代は変わったと思う。プロが本気を出して撮ったものでなくても、気軽にPVが作られ、それぞれかなりの再生回数が記録されている。
 しかし、それこそThe BugglesがVideo killed the radio star〜♪と歌ったのは1979年だし、音楽だけのものが映像に敵わなくてもそりゃ当たり前だ。
 では何を言いたいかというと、パラメキア帝国もPVを作ってみたい!ということなのだ。バンドメンバーさえ確保できていない上に、音楽だけでも中途半端なのに何を言うんだと思われるかもしれないが、やってみたいんだから仕方ない。実は以前、30分ほどの映画を3本撮ったことがあって、苦労は確かにあったけれども、その楽しさは格別なのだ。

 ただし、作るとしてもゲームの画面を使うというのはやりたくない。また社会的な立場上、顔を出して演奏するのも避けたい。では、ニコニコ動画に出ている人のようにかぶりものをして演奏するか…うーん。なんだか、それなら顔を隠す必然性のある内容の映像にしたいなぁ。
 昨日作り終わったばかりの格ゲーメドレーはPV向きだと思っていて、撮りたいシーンも思いつく。どうせCGとかその他のエフェクトに凝っても最新鋭のものに比べて、また何年後かに観てチャチなものになるんだから、技術面に関してはアナログでやりたい。
 まあ、こうして条件を並べただけでトホホなものになり下がることが分かりきってきた。いい感じだ。

 そういう時はプロが作った素晴らしいPVでも観て元気を出そう!ということで、久しぶりに観たいものをyoutubeで検索してみた。新しいもので良いものもあるのだろうが、何か、そんなに見つからない気がする。プロのミュージシャンが今そんなに気合い入れて作っていないのかな。
 
 僕の好きなタイプのPVは、
 ・曲を通したストーリーが感じられる。できれば映画っぽいもの。
 ・なおかつ俳優だけでなく、ミュージシャンが演技をしている、もしくは演奏が入っている。
というものだ。
 その範疇のお気に入りを三本挙げてみるが、こういうのを撮りたいわけじゃない。(無理だし)

 まずは、MuseのThe Knights of Cydonia。
 見られない方はこちらへ。


 サムネイルが怪しいけど、中身はもっと別の意味で怪しい。まるでエル・トポをかわいくしたような荒唐無稽西部劇。なおかつトンデモSFとカンフー映画を混ぜて作ってあるという素晴らしいPV。しかも無駄にハイクオリティ。ミュージシャンの正しいお金の使い方ってこういうことだと思う。最初に出てくるカンフーの型の中の、「CIRCLE OF DEATH」っていうのがお気に入り。それとエンディング直前、にくたらしい宿敵と決着をつけるときの技が意味不明すぎて素晴らしい。

 次に、The Birthday MassacreのLooking Glass。
 映らない方はこちら。

 デジ風味ゴシックロックで長年大好きなカナダのバンド。学校を舞台に、B級ホラー風味で統一した映像だけど、そこにメンバーの演奏が入ってくるあたりが本当にカッコイイ。特にボーカルのキレっぷりがいいと思う。ちょっと脱線するけど、こういう80年代的なキーボードの音、RammsteinやFlying Corols、Ram-Zetなんかでもそうだけど、そこに歪んだギターの音が絡むサウンドが僕にとってはいま一番魅力的に感じられるので、研究中。

 最後にド定番、Kate BushのCloudbusting。
 映らない方はこちら。

 圧倒的に映像が美しく、絵本のようなお話。85年の映像だけど、もうこれ以上に素敵なPVなんか作られないだろうな。モデルにされている科学者や、この装置については別に知らない方が純粋に映像と音楽を楽しめると思う。現実とは違う部分も多いわけだし。
 この映像と、唯一残っているハマースミスオデオンのライブ映像を観て、毎晩独りでポロポロ涙を流していた時があったなぁ。そういうのって無いですか。


 さて、僕は元来メタルファンなので、本当はカッコよくするはずだったのに、どこかでボタンを掛け違えてしまったようなPVもまた大好きだ。また次の機会に紹介したいと思っている。

 

2014年10月13日月曜日

プログレやメタルの「ダサさ」を考える。

 先日、Yes のDVD(Symphonic Live)を観ていたら、演奏の途中で画面がプレステ初期のような古いCGになって驚いた。天使のロボットがガックリうなだれたようなポーズになって、それをもう一人の天使のロボットがなぐさめているような映像。なんだこれ。観てる人がガックリくるよ…。
 なんだろう、プログレッシブロックのライブって、いくらノリの良い曲でもみんな座っておとなしく聴いて、時々ウンウン頷いたりして、曲が終わってから拍手…みたいな印象があるんだけど、それって演奏に集中するためじゃないんだろうか。 それを曲の途中でこんなチャチなCG見せられてもなあ。その他にClose to the Edgeで突如としてミステリーサークルの(やはりひと昔前の)CGになったりも。

 ただ、プログレッシブロックに「意味深にしようとして失敗しました」的な試みというのは「あって当然」で、目くじら立てることじゃないような気もしてきた。ミステリーサークルに限らず、ストーンヘンジとかオーパーツとか、プログレバンドが大真面目にアルバムジャケットやステージセットに持ってくるようなイメージがある。
 プログレ史上最大の名曲の一つであるタルカスだって、アルマジロ型戦車が火山から現れて、マントヒヒとサソリが合体した化け物と戦ってさんざんそこら中壊しまくって、海に帰って行くっていうストーリーなわけでしょ。別にファミコンゲームのストーリーでも子ども向けに作られたものでもなく 、大の大人が真剣に「コンセプトアルバムです!」って言って作っているんだから。





 夢中になって聴いているときは何とも思わなかったけど、一歩引いてこのジャケットを見てみると、過去に戻って初めて聴いた自分の肩を思い切り揺さぶって、「おい、君!君の感性は本当に大丈夫か!?」と聞きたくなる。

 ただし、「これさえ無くせばダサくない」とプログレのはずかしいコンセプトやアートワークを取り払ったら、もちろんそれはプログレでは無くなるだろう。現在活躍しているプログレバンドの何がひと味足りないかって、こういう「目が血走ったような本気度」だと思う。サウンドは昔に比べてずっとキレイになって、プレイヤーのテクニックもずっと向上しているのに、なんだか一枚聴いてもサラッとしていて、ドーンと心に残るものが少ないように思う。
 

 しかしこれはプログレにだけ言えることではない。「これさえ無くせば」の宝庫といえばやっぱり我が心のふるさとであるHM/HRである。さあ、行ってみよう!
 



みんな、コレを何とも思っていなかったよね!


 上の人の実写版。この人のソロいっぱいコピーしたよね!メトロノームゆっくりにして、だんだん速くして練習したよね!それを学園祭で、同じポーズで弾いたよね!(うあああ…)

  他にもハードロックやメタルには昔も今もこういう人がいっぱいいるんだ。
 




 でも、いまテレビから流れてくる音楽を聴いていてもサウンドとしてのメタルは根強く残っている。映画なんかの盛り上げどころでメタルっぽいリフが使われていることもある。メロディは覚えやすいものが多いし、展開も分かりやすく、しかもテンポが速くて本当はメタルって聴きやすい音楽だと思う 。
 では、長髪と革ジャンとイガイガのリストバンド、ドラゴンとか悪魔とかバビロンの城門とかカロンの渡し守とかそういう歌詞を無くせばダサくないのか…って、それはメタルではなくなってしまう。本人が真剣にやっているんだからこれで全然 OKなのだ。
 
 では何故、新宿のディスクユニオンプログレッシブロック館に行っても、メタルの一大イベントであるラウドパークに行っても、うつむいている人が多いのか。
 HIPHOPとか聴いている人はあんなに世間に向けて自分の趣味嗜好をアピールした服装や言動をしているように見えるのに。それに、今の中学生〜大学生を見ていると、自分の好きなものに素直だと感じる。電車の中でゲームをして、ボーカロイドを聴いて、家ではアニメを観て、という人が増えたし、それをおおっぴらにしている。仲間が多いからだ。
 
 プログレもメタルも、ファンがもっとオープンになればいいと思う。リスナーの裾野が広がればもっと勢いのあるバンドが出てくると思うし、来日するバンドも増える。

 ではどうすべきか、僕は浮沈のカギを握るのはキャラクタービジネスであると思っている。いくつかのバンドには、何故かイメージキャラクターがいる。それをゆるキャラのように売り出せば、子どもや若い女性にも受けるのではないか。そう、メタルとプログレには子どもと若い女性のファンがいないんだよ!メタルのライブに行って若い女の子がいるか?少々はいるかもしれないけれど、プログレはどうだ。いたら天使かと思うだろう!(なんで今日はこんな口調なんだ)


 ということで、先ほどのタルカスのジャケットを見てみよう。ゆるキャラに見えて来ないだろうか。「ダサい」んじゃない。「ゆるい」って考えようよ。

 ではIron Maidenのエディはどうだ?
 
Iron Maidenのジャケットに毎回登場するキャラクター「Eddie」

Gamma Rayのファングフェイスくんと上のエディの関係は、「ふなっしー」と「きゃべっしー」みたいなもんか。似すぎてるけど話題作りにはいいと思う。(肝心の曲も似てるとかそういうのは置いといて)
 
これが「ファングフェイス」もっと似てるジャケットもある。
どちらもグロカワとかそういう路線で若い女性や子どもにウケないだろうか。




さあ、どんどん行ってみよう。
彼なんかは、ほら妖怪方面とかでやっていけないだろうか。よく見ると可愛げもあるし。


ちがう!そんなシェーみたいな昭和ポーズではなく可愛らしさを前面に出すんだ!



メタルにも可愛いのはいる。
Riotのジョニーくん。これなんか、あれだろう。ゴマちゃんとかそういう勢いで可愛がられるだろう。


可愛がられ……あれ?
すみません、やっぱ無理でした。

2014年10月11日土曜日

音楽をやる人は誰の批判も受け入れるのが当たり前なのか。

 ずいぶん前のニュースかもしれないんだけど、乃木坂46がサッカー場でキャンペーンソングを歌ったら、相手チーム(浦和)のサポーターから大ブーイングされたとか。僕はアイドルなんて知らないけど、年端も行かない女の子にぶーぶー言って盛り上がっている大人って情けない…。ダンスや音楽をやるのって大変なことだから、そういうのやめてほしいなぁ。
 
 音楽をやっている人は誰に何を言われても ガマンしろ、それが嫌なら辞めろという雰囲気は素人からプロまで共通している気がする。アイドルやサッカーなど自分に分からないことは置いといて、自分のフィールドであるメタルについて考えてみると、これがまたけっこうヒドい。
 何年か前、ネットでイギリスのメタルフェスをネットで中継していたので夜更かしして観ていた。ヘッドライナーがIron Maidenで、トリ前はEvanescenseだった。僕はどちらも好きだからジュースか何か飲みながらパソコンの前で楽しく鑑賞していたんだけど、Evanescenseの出番で、MCでも曲中でも客が変な盛り上がり方をしていて、わーわー何か叫んでいる。何だろうと思ってよく聴いてみたら、「Maiden ! Maiden !」とか言って騒いでるのね。Evanescenseはメタルの中では新世代に属すような音で、しかも女性Voなので、伝統的なメタルであるIron Maidenとは全く違う音楽。(まあ、「全く」と言っても特にメタルばかり聴いている人以外には同じように思うかもしれない。)
 それでIron Maidenのファンが「お前らさっさと辞めてIron Maidenを出せ」とわめいているんですね。フェスの意味ない…。その後も騒ぎはおさまらず、ペットボトルがステージにどんどん投げ込まれ、結局は予定していた曲目を減らして演奏した模様。

 昔の画家も詩人も、確かにサロンや文壇ではこっぴどく批判されることもあっただろう。でも、ただ美術館に行って絵を見るのが好きだという人に画家が「へたくそ!」と言われたり、本を読むだけで詩を作らない人が「あの作品には価値がない」とか言うのは何か変だし、まして直接に、やっていることや人格を否定するかのようなふるまいを受けるのはおかしいと思う。
 
 こんなことをエラソウに言っている僕も先日、娘とショッピングセンターに行った時、ローカルアイドルの人が20人くらいのファンの前で歌をうたっていて、それを聴いて「うーん…これはどうなんだろう」と呟いたことがある。もちろんアイドル本人やファンの人に聞こえる位置でもないし、聞こえる声の大きさでもないけれど。
 その人の歌唱力とかは、これから人前でどんどん歌って上手にもなっていくかもしれないけれど、MIDI音源をそのまま鳴らしたようなサウンドと、ちょっとそれは…と言いたくなるような曲に対して「どうなんだろう」と思ってしまったのだが…
 それを聞いて、僕にだっこされていた娘は「お父しゃんそんなこと言わないの。がんばって、うたってるんだよ」と言った。
 音楽をやる端くれの端くれのような僕が、バカにするのはやっぱり違う。だって、がんばってうたっているんだから。

2014年10月8日水曜日

娘とプリキュア新聞

 僕は 、自分が夢中になっているものを親にほぼ一切否定されずに子ども時代を過ごして来た。さすがにファミコンのやり過ぎはダメだと言われ、世間一般がそうだったように時間制限はあったものの、何はくだらないとか、これはダメだとか言われた覚えはない。一緒に同じマンガを読んだり、映画を観たり、ゲームをしたり、似た映画や本を紹介してもらったりもした。
 僕も娘に対して、そうありたいと思っている。できるだけ一緒に観て話題を共有したり、映画やライブに連れて行ったりするようにしてきた。だんだんと義務的にではなくて、一緒に楽しめるようになってきたと思う。
 
 さて、いま娘がハマっているものといえばプリキュアである。恋愛やお化粧のシーンが出てくる度に「これはちょっと、どうなんだろう…」とも思うのだが、女の子がそういうものに憧れること自体を否定するのはおかしいし、まだ3歳なので意味が分かっていないことも多いので、目くじら立てずに付き合うようにしている。
 自分ではセーラームーンとか、クリーミーマミとか、女の子マンガをまったく観て来なかったので、「そうかぁ…女の子はそうなのかぁ」と認識が新たになる日々を送っている。

 プリキュアの映画が今週末に上映されるので、当然行って来ようと思っている。前にゲーセンのことで書いたけれども、僕は娘と二人で映画館に行き、事前に手に入れておいた前売り券で入場し、「なっちゃん」の一番大きいやつと甘いポップコーンを買って、二人で観るという行為そのものにとてつもなく大きな魅力を感じている。
 今回は、映画館を観たあと階下のゲームセンターでプリキュアのゲームをやり、マクドナルドでハッピーセットを食べ、31アイスクリームを食べ、そして同じビルの中のSeria(新しい100均)でハロウィンの飾り付けや衣装などを買うという完璧な計画を立てている。
 
 映画の公開に合わせて毎年、日刊スポーツの増刊で『プリキュア新聞』なるものが発行される。お父さんに向けて作られた新聞で、娘と一緒にプリキュアを楽しめるようにキャラクターの説明が書かれていたり、監督がこの映画を観た子に何を伝えたいかインタビューがあったり するのだ。コンビニの新聞置き場に、「星野監督辞任」とか「錦織V」とかのスポーツ新聞や夕刊紙と並んで「プリキュア新聞」が売られている。圧倒的なピンク色である。
 僕は迷いもせずそれを手に取り、名札に「研修中」のわかばマークがついた高校生の男子店員に渡した。
店員さん:「あの、飲み物(ウーロン茶)と一緒にお入れしていいですか」
 … …むむ、僕のことをマニアだと思っているな。そういうことでムカーとかするコレクターだと思っているのか。まあ、仕方が無い。僕:「いいですよ」
店員さん:「あっ、入らないので別の袋にします」
 ……いちいち断らなくても。クレーム言われたら困るからこんなに緊張しているのだろうか。
店員さん:「あの……少し折ってもいいでしょうか」
 ……そりゃ、折らないと入らないよ!僕:「いいですよ」

 今年の夏、娘と池袋のプリキュアカーニバルに行った時点で、もうマニアの人(大きなお友達というらしい)だと思われることは覚悟しているのだ。というか、そういうのってだいたい自意識過剰だしね。でもそんなにプリキュア新聞のコンディションにこだわる人だと思われちゃうのはどうなんだろう。

 そんなこんなで家に帰り、娘に「じゃーん」とかなんとか言いながらプリキュア新聞を見せてみた。「きゃー!」「プリキュアだー!」「しゅごい!」など、大喜びして新聞をめくりはじめた娘。まあ記事は読めないけれど、よその子がプリキュアの格好をしているのを眺めたり、映画の絵を見て「ぜったい観に行こうね」とか言っている。買って来てよかった。

 しかし次の瞬間、娘はプリキュア新聞についていたポスターを破りはじめた。真ん中からビリビリと。「え!?」
 「なにやってるの!?」「どうしたの!?」 と僕が慌てて聞くと、娘はわーー!と大きな声を出して泣き始めた。これは機嫌が急に悪くなったり、何かねだったりするときの泣き方ではない。最近するようになった「本当に悲しいときの泣き方」である。大粒の涙をポロポロこぼして泣いている。

 なんでも、娘はピンクでキラキラしたプリキュア新聞の紙をびりびり破り、セロテープでつけて「おようふく」を作りたかったらしい。そういえば娘と新聞を切って帽子をつくったり、スカートやワンピース状のものを作って一緒に踊ったり戦ったりするという遊びを以前やったのだった。それを思い出し、娘としてはこんなにきれいでプリキュアまで描いてある新聞紙で服を作ったら、さぞや楽しめるだろうと、そう思ったのである。
  そして泣いたわけは、僕があまりに慌てて尋ねてしまい、自分の意図が全く伝わらずに買って来たものをただ粗末に扱ったと思われたから、のようである。

 もちろん怒った覚えは全く無いのだが、僕の「 なにやってるの!?」の中には、 「なんでせっかく買って来たものを大切にしないの!」という非難の色が娘には感じ取れたのだろう。僕がどういう気持ちでいるのか、ということには娘はすごく敏感なのである。まして子どもって自分が疑われたり、誤解されるということには弱いと思う。
 
 スタンドバイミーでリバーフェニックスが、ミルク代をお前が盗ったのかと担任に言われた時、自分をまず疑ったということにショックを受けるシーンがあるじゃないですか。主人公に泣きながら告げるやつ。でも、盗んだのはリバーフェニックスなの。やっぱりお前じゃないか!という前に、大人が自分のことを、ロクでもない人間だと見ている事実がとんでもなく悔しいのだ。
 
 親子だし、僕は常に仕事から 1秒でも早く帰って娘と過ごしたいと思っているから、気持ちのすれ違いや衝突もある。すぐに「そうだったんだね」と理解することはできたから、娘も安心したようだ。
 娘でなくても、仕事でも、また誰に接するのでもそうだけど、まず相手の行動をマイナスに捉えていることが伝わるような反応を、反射的にするのは良くないとつくづく思った。

 いや、これはコンビニの研修中店員の高校生があまりにも丁重に扱うせいで僕の意識化に、プリキュア新聞が大切なものであるという認識ができあがってしまったせいだ。
 あの高校生のやろー!ただじゃおかねえ。ということにしようかな、いや無理があるか……






2014年10月5日日曜日

恋愛不能者による恋愛(?)マンガ紹介

 僕は保育園児のころ、同じクラスだった女の子が猛烈に好きだった。なぜ好きだったのかは分からないし、今となっては顔もはっきりとは思い出せない。しかし寝ても覚めてもその女の子のことばかり考えていて、自分の中ではそれ以降も、保育園の女の子以上に好きだと思う人は現れなかった。すごく外見にこだわっていたり要求が高かったりするというつもりはなく、保育園からの同級生が誰もいない小学校に入学して以降「恋愛って何だっけ」状態になってしまったのだと思う。

 小学校も中学校も高校も好きな子がいないというのは、大切な青春の時期にモノクロの世界を生きているようなものではないだろうか。これはもう、自分は女の子が好きじゃないのだと結論を出した方がラクかとも思われたが、特に男が好きになるということも無かった。

 マイペースに自分の好きなことを追求することができたのはいいけれど、本に、音楽に、映画に、マンガに、恋愛が出てくる度に「自分に好きな人ができたらどんなに良いだろう」と、恋愛という枠組み自体に憧れを持ったのをよく覚えている。

 思春期の自分が一番グラグラ揺さぶられたのが、手塚治虫の『火の鳥復活編』だった。
 作品のテーマは、ロボットと人の違い…つまり人間の体を機械にしていったら、それはどこまでが人と言えるのか というものだったり、徹底して描かれる主人公の深い孤独だったりするのだけれど、それはさておき、僕はこの本をマンガ史上に残る恋愛作品だと思っている。

 主人公のレオナは事故で生死の狭間をさまよい、再生手術を受ける。しかし、脳のほとんどを人工頭脳に入れ替えたために、人や動植物は全て土くれやホコリの塊のように見え、声も風が吹き抜けているように 認識されるようになってしまう。それは家族でさえも同じで、実の母も無機物のように感じられる。
 しかし、世界にたった一人取り残されたように感じているレオナの目に、美しい女性の姿が映る。必死で後を追ってみると、彼女の名前はチヒロ六一二九八号といい、実際には機械むき出しのロボットだという。
 レオナは周囲から変人扱いされながらもチヒロを愛し、その一方で作業用のロボットであるはずのチヒロにも愛情が芽生えていく。

 有り体に言うとまあそんな話だけれど、二人がついに駆け落ちをして、郊外の自然の中で心を通わせるシーンは、抽象的な描写がなされているんだけれども、何度読んでも心が震えるような美しさが感じられる。また物語が結末に向かい、二人がついに自由になって結ばれる場面では、僕のような恋愛不能者であるかどうかによらず、これ以上に幸せで、これ以上に悲しい結末は無いと思われることだろう。

 僕は生まれてくる娘にチヒロという名前をつけようとして却下されたのだけども、それくらいこの作品が大切である。僕がこの本に出会ったのは小学校の高学年のころ、練馬区の区民館のマンガコーナーで あった。ほとんど救いがなくて、ページを繰っていても苦しい気持ちになることが多いのに、幾度となく読みながら多感な時期を駆け抜けて来た。

 特別な時期に触れた作品は、いま改めて触れてもその当時の感動には立ち返れないとよく言われる。「あの映画、当時はすごく感動したのに…」とか「きっとあの頃の気持ちにはなれないから、二度は観ないようにしている」と言う人は多い。
 けれど、自分を形成しているものが孤独 と、深い愛情への憧れだと認識しているので、僕はこれからも『火の鳥復活編』を読むだろう。何度でも自分の根の部分を確認できるからだ。

2014年10月3日金曜日

青春を悔いる必要はない

 僕は映画『バス男』が大好きだ。出てくる人々が全員愛おしいので、何度も観てしまう。
 その中に、高校生のときアメフトの州大会出場をかける試合に自分が出られず、それを二十年くらい引きずっているオッサンが出てくる。すごくしょうもないオッサンで、いつも「あの時に戻れたら…」と思っている。自分がもし試合に出ていたら勝っていたと、架空の大活躍シーンをシミュレーションしてみたり、マルチ商法の販売員になって、街のお年寄りをだまして儲けたお金を使って通販でタイムマシンを買い、やっぱり戻れなくて悔しがったりする。

 僕の周りにも「あの時こうしていれば…」とか、「あの頃に戻りたい」という人はけっこういる。僕はというと、こんな懐古趣味な活動をしておいて何だけれど、昔に戻りたいと思うことは一切ない。
 小中学生の頃、図書館と古本屋が僕の天国で、そこに置いてあるものが変だったのか 、キン肉マンやドラゴンボールの時代には 手塚治虫と水木しげるを読み、バンドブームだといって好きになったのは筋肉少女帯と人間椅子だった。他人との差別化を図りたかったわけではなくて、たとえばジュンスカとかXのCDは図書館で貸し出し中だったり、ジャンプコミックスは無くても火の鳥やブラックジャックは置いてあったと、そういうことかもしれない。…まあ、その後も当然ズレていきますよね。
 まず一番大きな ズレというのは、自分の中に「女の子と仲良くしたい」という気持ちが無くなって行ったことだろう。身の回りはもとより、トレンディドラマは観たことが無いし(今でもテレビでドラマというものを 観たことがない)、アイドルも好きだったためしがないし、マンガでさえも『きまぐれオレンジロード』とか『電影少女』とか『Boys be』とか忌み嫌うようになった。

 ではそんな子どもの頃の僕がJ-POPを聴いて、昼休みはサッカーボールを持って校庭に走って行くという道を通っていたらどうなっていたか、と考えてみる。
 少なくとも人にダサいと言われない服を着て、中高生の頃とかにステキな彼女ができていたかもしれない。僕みたいにある意味で青春を失敗した人というのは(言い過ぎかもしれないけど)、類は友を呼ぶのでけっこう周りにいるけれど、自分の趣味嗜好がもう少し世間寄りだったら…と思うこともあるらしい。
 
 そういう人に会うと 、特にその人が僕と同世代だったりすると、いつも見せたくなるものがある。 そして、80年代の表舞台にいなくて良かったですね、と言ってあげたい。
 それが、このPVだー!

 
 頭のてっぺんからつま先まで、全部ダセ ー!
 この時代に戻りたい人は、まずムチムチのジーパンを買ってキーボードを壁に固定するがいいよ。

2014年10月1日水曜日

弱気プロモーション活動

 以前バンドをやっていた何年間かは、ホームページ内に掲示板があって、そこにファミコンの音楽好きな人とか、偶然検索にひっかかって来た人とか、ゲームの音楽は知らないけどなんとなくライブに来たお客さんとかが色々書いて行ってくれたものだった。もともと人と話すのが好きなので、そこにお返事を書いて、すごく楽しくやっていた。リクエストされた曲をその日のうちに録ってアップしたり、娘が新体操をやっているんだけど発表会の曲を作ってくれないかという人がいて、競技時間を調べてすぐ録音したりとか…。
 別にホームページの訪問者が特別多かったわけではないけれど、毎日掲示板を書いていたので寂しくなかった。

 しかし、いま竜宮城から帰って来た気持ちで久しぶりにインターネットというものをし、ホームページを作って、バンドを再開してみたら、どうすればサイトが人の目に触れて曲を聴いてくれる人が増えるのか全然わからない。こうしてブログを書いていても、こんなことやるよりも家の玄関でも掃除した方が家族に喜ばれていいんじゃないのかと弱気になってくる。
 まあ、ブログというのはリアクションを求めて書くものではないのだろう。だって、他の人はどうなのかなと思って見てみても、すごく面白い記事を書いている人もいるのに別に読んでいる人からコメントがあるわけではないもんね。

 そこで、バンドの認知度を上げるべくやれることを考えてみた。そうじゃないと本当に作ったCDをお焚き上げすることになるから。いや、考えてみたというより、周りにいる人に「いまバンドをして人に聴いてもらうにはどうすればいいのかね」とか「いやそもそもインターネットって今どうなってるの」と聞いてみた。


手段1 以前バンドを聴いてくれていた人たちにコンタクトを取ってみる。

…ほんのちょっとやってみたけど、ダメだ。一人に連絡するだけですごく緊張する。もう別にファミコンの曲なんて聴きたくないとかお前らに付き合ってられねーと言われるかもしれないので怖い!あと、パソコンがダメになってバックアップ取っていなかったりして、手元に残っているのは手紙だけという人が多い。住所にいきなり、なんとか帝国とか不吉な名前で封筒が送られて来たら普通開封しないよ!

手段2 とにかくどんどん更新して検索に引っかかるようにする。

…まあ曲はどんどんというわけにはいかないけど、ブログなら何とかなる。これをやっている最中。でも100記事書いてアクセスが5人くらいだったら立ち直れないかも。…いや、ダメだったことを想像するのはやめよう。

手段3 イベントに顔を出してフライヤー(チラシ )を配る。
…遠回りのようで、これが一番良いような気がする。M3とかゲームレジェンドとかに行って、CDのこととホームページのアドレスが乗っているチラシを渡し、「よろしくお願いします」とやる。

手段3 動画サイトに曲を載せてみる。

…以前はmp3にして曲をアップするだけでたくさんの人が聴いてくれたけれど、今はyoutubeやニコニコ動画の時代だ!(「今」っていうかずいぶん前からか?)だけど動画というものが僕にはどうもイメージできない。子ども達と映画を録ったことは何度かあるので、映像はまあ録ったり編集したりはできるであろう。しかし、なんだ、30代後半にさしかかった人間が猫背でギターを弾いているところを見たい人がいるわけねえ!
 あと、個人的には「弾いてみた」とか「歌ってみた」というのが肌に合わない。「〜てみた」とか軽く言ってるんじゃないよ、一生懸命に弾いたからどうぞ聴いて下さいじゃないのか!と思う。
 ただ、僕はバンドのPVとか見るのは昔から好きで、それはもう映画みたいな完成度のものから、一所懸命やっているのに ダサダサだったり全力ですべっているものまで全部好きだ。じゃあPV作るか。誰も協力してくれないだろうから自分が出て。猫背で。ダメだ!

手段4 知る人ぞ知る、こだわりのラーメン店みたいな感じでやっていく。
 やだ。


…まあ、まだサイト開設から一週間だし、寂しくてもつべこべ言わずしっかりやれということですね。