2014年12月29日月曜日

コミケ2日前。果たして人は来てくれるのか…

 星飛雄馬が、クリスマス会を開いて友達と姉ちゃんを呼んだら、誰一人来ない有名な話があるでしょう。
 会場になる部屋を壁のペンキ塗りから始めて、音楽かけてノリノリになって準備をして、折り紙で輪飾り作って、一人一人のプレゼントを用意して待っているの。自分は三角の帽子をかぶって、友達を今か今かと待ち続けていたら、みんな来ない。


悔しさにうち震えていたら、目の前になぜか外国人選手(オズマ)の幻が見えてこう言う。「みんなお前のことを野球ロボットだと思っている!クリスマスは人間の祭りだ。ロボットは祭りをやらん!なんなら同じく野球ロボットであるこの俺とやるか、クリスマスを!」とか。これ、実際にそう言われたわけじゃなくて、星飛雄馬はそう言われたことを勝手に想定してキレて泣きながら、「俺はロボットじゃない、人間だァァ!」って、自分でクリスマスのごちそうをひっくり返し、ツリーを窓ガラスに放り投げて荒れ狂うの。

 CDを一所懸命作って、明後日コミックマーケットに出す。でも、人が全然来てくれなくて、すごすごと大量のCDを持って帰ることを考えると、もはや自分で書いた前のブログを見返しても「なにが甘栗だ!」と思えてくる。
 いくら楽器が上手でも、人に聴いてもらう努力を全くしていなくて全然お客に来てもらえないバンドを山ほど見てきた。たとえばそういうバンドの人が、他に大した実力がなくても宣伝を頑張って人を呼んでいるバンドをやっかむようなことを言っていたら、おかしいと思うでしょう。じゃあ君はたくさんの人に聴いてもらいたいのに、黙っていても自分の楽器に人を引き寄せる力があると過信して、その努力をしなかったんだね?って、ことになる。だから、僕は宣伝もできないバンドは聴いてもらえなくて当たり前だと思っている。
 
 それもあって、録音が終わり、PVの制作が終わってからというもの、ずーっとバンドを「どうやったら聴いてもらえるか」ばかり考えてきた。これが非常に健康によろしくない。ホームページで、twitterで、youtubeで、ニコニコ動画で、またイベントに行ってフライヤーを配って、とやってきたけれど、これは楽器を練習したり新しい曲を編曲したり録音したりということより何倍も悩ましく、成果も上げにくい作業である。
 ともすれば、僕らのやっていることは仮面ライダードライブ放映の裏番組で、仮面ライダーアマゾンが再放送されているようなものだと思えてくる。現代のイケメンライダーに対抗して、こっちは常に上半身裸だ!とかやっても、すごくアクションに磨きをかけて、迫真の演技で「アァァァマァァァゾーーーン!!」とかやっているのに誰も観てくれない…てなもんだと思えてくる。
 沈んだ気持ちにばかりなっていてはいけない、そう思っても、連れ合いと娘が買い物に行くと言って外に出たら、勝手に手がyoutubeの検索画面に「星飛雄馬 クリスマス」と入れている。
 
 コミックマーケットは12月30日に行われるが、僕らの年代でこの年の瀬に、東京ビッグサイトに行って何万人の人ごみに紛れてこようという人は少ないだろう。
 しかし、soundcloudなどネット上での発表ではなくCDという形にこだわる以上、どこかで発表の機会を持たなくてはならない。また、来てくれた人にCDを手渡しできる点で、やはりコミックマーケットなどのイベントはそこまで積み重ねてきた努力が報われる場だと思う。だから、いくら不安でも、実際売れなくても、あと二日間頑張ろうという気でいる。

 無理かもしれないが、僕らは春麗みたいなバンドを目指したい。
 とうとう死神博士おかしくなったかと思わないでほしい。僕らの世代はスト2の爆発的ヒットの時期に思春期を過ごしている。ゲーセンといえばビームと戦闘機と筋肉みたいなイメージだったのに、そこに春麗が出てきたんだから、その存在感たるやサークルの姫どころではない。その後にもっとかわいいキャラクターや、有名な声優を起用していたり、もっとお色気路線だったりするキャラクターが出てきたとしても、それ以上になるわけがない。
 おかしな話がある。以前、大学生になってからできたゲーセン友達に「中学生のころ、ゲーセンですげえキレイな女の子がいてさ、まるで春麗かと思ったよ」というバカな話を僕がしたら、その友達は「俺も昔1回すげえカワイイ子を見たことあってさ、マジで春麗みたいだと思った」と言っていた。僕らの意識の中に、ゲームキャラクターというより、女の子に対する憧れの集約されたものがはっきりと刻み込まれているのだ。20年以上経った今も、春麗は新しいゲームに出て顔も服も変わらない。それを見て僕らの世代は心が温かくなるはずだ。
 
 大人気で有名なバンドになりたいのではない。演奏や編曲が上手いバンドと認識されたいわけでもない。
 こんなに長く休んで再始動して改めて、10年経っても忘れないでいてくれた人の大きさを感じている。
 思い返してみれば、僕らは下手で録音も音作りもまだまだだったかもしれないけれど、本当に一所懸命やっていて、ライブに来てくれた人はきっとその日楽しんで帰ってくれたはずだと思う。そういえば思い返してみたら、あの日好きな曲を演ってたなとか、2時間ワンマンでやってたなとか、思い出してくれる人はきっといる。
 そういう人たちのために活動をしていきたいし、今回の再始動が、また10年経ってからも覚えていてくれる人がいるくらいのものでないといけない。それくらい頑張りたい。だから目標は遠大だが、春麗くらい長く、誰かの心に残るバンドでいたいと勝手に思っている。

 今回のアルバム「Push Start My Heart」は、10年楽しんでもらえるCDになったと思う。もう、コミックマーケット当日売れなくても、そのほかのイベントに出し、ライブ会場に持って行って手に取ってもらおう。遠方で来られない人や都合のつかない人の手にも渡る方法を考えたほうがいいのは分かっているし。
 いや売れなくても、とか言っちゃいけないな、いくら仮面ライダーアマゾンでも、アマゾンアマゾン言って騒いでたら、もしかしたら間違って「こっちの方がいい」っていう子どももいるかもしれない。
 だから僕も勝手に頭の中で外国人選手を作り出して、「コミケは今の人のイベントだ。みんなお前のことを過去のバンドだと思っている。何なら俺とやるか、艦これメタルバンドを!」とか思わないことにするよ。


2014年12月26日金曜日

CDのプレスを発注して届くまで

以前活動していた時には、音源を作ったらCD-Rに焼き、ジャケットはプリンターで刷ってカッターで切り…とやっていた。ライブ前とかでも通販の申し込みがあったら手作業でCD-Rを作っていて、これで指を切ったらアウトだなぁ、とか思っていたものだった。
 その頃から、いつかCDはプレスで、つまり工場にきちんと作ってもらって、盤面が青くない本物を作ってみたいという気持ちがあった。

 以前プレスができなかった理由はまず、お金がなかったから。
 今はプレス料もだいぶ安くなった。そして経済的にも僕は野原ひろし(クレヨンしんちゃんの父)レベル近辺の生活はたぶんできているので、たとえばプレスをやってみてCDが一枚も売れなかったとしてもまあ、大人の趣味としてはこのくらいは許容されるだろう。彼と違ってゴルフとかパチンコとかしていないし。
 もうひとつの理由が、納期である。プレスに出すならどの業者を見てもだいたい発注から納品まで2週間くらいと書かれている。コミックマーケットに出す二週間前にCDの作業が終わるなんて、以前からしたら精神と時の部屋でもないとまず無理であった。(これは、夏にCDを出したときからすぐ作業をスタートさせて、サボることなく続けて冬を目指しても、ということである)
 それを今回はマスタリングまで11月中に終えたのだから、まあ音源制作について色々な変化はあったにせよ、かなり頑張れたと思う。

 しかし、プレスに出すというのは録音してミックス・マスタリングするだけの作業ではないのだ。もしも、いつか自主制作でCDを作るという人がいたらぜひ覚えておいて欲しいのだけど、まずジャケットなど印刷物の準備が要る。

 今回はジャケットをお願いして、CGではなく紙に絵の具で描いてもらった。描く人がデジタルが得意かアナログが得意か、ということも勿論ある。けれど、僕は紙に描かれたものには指を絵の具で汚して描いた「重み」があると思う。CDのジャケットはもちろん印刷だけれど、製品を手に取った時に作品としての存在感があるのはCGではなく絵だと勝手に信じているのだ。
 今回は原稿のサイズがA3を超えているので、家庭用のスキャナでは無理で、街の印刷所に行ってスキャンしてもらった。これが、ちゃんと頼んでいるのに持って帰ってきたら解像度が足りなかったり、JPGになっていたりして他の業者に頼んだり、さんざんすったもんだしたのだ。数値や形式の問題だけではなく、原稿をgrassiaさんから受け取った時の感動がジャケットに再現されていないと、嬉しいのは僕とメンバーだけになってしまうから。
 スキャンが無事終わったら、今度は画像を紙ジャケットの形にするためにPhotoshopとIllustratorで加工する。この辺は分かっている人なら当たり前の作業だけど、慣れない人には大変だと思う。

 一方、CDのマスターはFedexという国際宅急便でプレス工場のある台湾に送った。プレスは国内と海外(だいたい台湾)があるが、僕はその辺はこだわりが無いので安く納期も短い台湾に頼むことにした。
 通関のしきたりで、ジャケット裏面とCDの盤面にPrinted in Taiwanと入れなきゃいけない、と言われた。これもまったくこだわりがないし、なんか書きたくない人もいるらしいが、台湾で作ってもらったことを隠すこと自体おかしいのでしっかり入れた。業者によると、すげー小さい文字でわからないように入れるバンドとかもあるらしい。なんだそれ、Made in USAとかなら大きく書くのか。いい加減にしろ。お世話になってるくせに。コカコーラでも飲んでたらよろしい。

 今回はe-trekというメーカーにお願いしたが、日本語が上手な人がいてメールでの質問やリクエストにはかなり親切に応えてもらうことができた。ジャケットがちょっと特殊だったのでここにお願いしたのだが、対応や完成した製品を見ていても選択に間違いはなかったと思っている。
 じゃあ何が困ったかというと、このFedexという宅配業者である。まあ海外に物を送るのってそういうものなのかもしれないけど、「もう頼まねえよ!」と言いたくなるくらいの酷さで閉口した。

 Fedexのサイトには、「台湾に翌日届く」と書かれている。まあ早くマスターアップしたので余裕はあったけれど、それがまったく翌日になんか届きゃしないのだ。
 まず、業者にCDを渡したのが12月5日の金曜日。その後、荷物の追跡をしていたらもう寿命が縮まるかと思ったよ。

 12/6土曜日、成田のFedex営業所。(あれ?翌日なのにまだ成田?)
 12/7日曜日、成田のFedex営業所。(ああ、土日はお仕事休みなのね。ヤマト運輸とかの常識でいるのは違うのか)
 12/8月曜日、成田のFedex営業所。(は!?)
 12/9火曜日、成田のFedex営業所。(おいおい、なにこの熟成期間?牛肉の赤身か?翌日配達って言ってなかった?)

 結局、火曜日のうちには荷物が動くことがなかった。しかもこの時点で配達予定が「未定」に。1日を争って録音とかしていた自分やメンバー、眠い目をこすってマスタリングしたボブの努力はいったい…。
 この時点でe-trekからは、納期は「12営業日」だという知らせがあった。これは実はどこでもそうらしい。営業日に土日は含まないので、e-trek以外だとだいたい14営業日と書かれている。これは土日も含めると3週間にまたがるということになる。
 メールで質問をしたら、12/9の火曜日までに届けば大変だけど12月25日までに日本に届ける、とのこと。

 12/10水曜日深夜2時、Fedex経由地に到着。(GUANGZHOU CN)
 中国の広州?まあ、台湾に行くには中国を経由しなきゃいけないんだろうな、などと思っていたら…
 12/10水曜日の朝6時、輸送中。(ANGELES CITY PH)
 あ、あの…PHってどこの国?
 ふぃ、ふぃりぴん?なぜ?

 その後はすんなりと台湾に入り、その日の夕方には工場に着いたのだった。しかし翌日届くはずが、金曜日〜水曜日の6日間もかかってしまった。そして、水曜から12営業日だと最短で12/26(金)に完成。そしてもしまた輸送に6日かかったら……
 終わった、完全に。コミックマーケットは12/30(火)なので、前日の29日中に自宅に届いてなかったらつまりそれは落としたということだ。しかも27,28日は土日。詰んだ。

 すぐCDRを焼く準備をした。泣きながら。
 なんで一ヶ月前に録音を終わらせて、完成しないなんてことがあるんだ…。そういうもんなのか。やっぱり僕らはカッターナイフを手に内職するのが身分相応なのか。
 CDRとジャケットを作ってくれる国内の業者もあるようだが、だいたい50枚で2万円くらい。原価で売るとすると1枚400円でCD-Rを手に取ってもらい、僕らの手元にはコミックマーケットが終わった瞬間、プレスCDが山のように届くのだ。もういやだ。

 何度か台湾へのメールと電話のあと、祈るような気持ちで待っていたら……
 届いたー。
 

 なんと12/24。サンタさんありがとう!じゃなくて、e-trekがすごく急いで作って、土日にかからないよう平日の真ん中に送ってくれたのであった。e-trekの林さんありがとう!

 かと言ってすぐ開けることはできない。なぜならそれは僕が小心者だからだ!これでもしCDがちゃんと再生できないとかジャケットが逆さまとかだったら心臓が止まる。
 それで、連れ合いが戻ってきてから封を切ってもらった。
 
 

 大丈夫だー。よかった!ちゃんと紙ジャケの印刷もきれい。CDも音飛びがない。
 そんなわけで、いま手元に完成したCDがあります。パロム&ポロムのジャケット超きれい。そして、いい音楽だー。(酔っ払っていません)

 だが、プレス代金を安くするためにこれだけの量を作ったけど、これどのくらい売れるんだか心配になってきた。
 まず僕の分でしょ、ボブの分、てまりんの分、grassiaさんの分、ビデオ撮影を快く引き受けてくれた方の分、あとleSYNさんに送る分、これで6枚でしょ。あと、コミケに行くよ!と声をかけてくれた人が5人くらいいるので、あわせると11枚。
 このブログを見ている人は、だいたいファミコン世代だから、なかなか年の瀬にコミケまで来たりできないだろう。そしたら相手は初音ミクとか聴いている人か。あと、10代?無理だー!
 お客は全部で5人くらいか?じゃあ持っていくCDは、多く見積もって15枚くらいになるだろうか。

 こういうとき、バイトで1日で甘栗を100キロ売ったという実績の持ち主である連れ合いに、当日の売り子をお願いしたくなるが、長女&次女の世話をお願いする以上それは無理である。
 じゃあ、僕とボブが売り子をがんばる?猫背で?
 これは本格的にまずい気がしてきた。こうなったら連れ合いに売り子の極意を伝授してもらおう。まず、もごもご喋っているのがよくないんだろうな。当日まで発声練習だ。「あまぐーりーぃ、あまぐぅりー、あまぐり!」

2014年12月22日月曜日

PVを撮ってきたよ!

 KISSのジーン・シモンズが、ジーパンとかTシャツとかでライブをする奴は客をなめている、プロじゃないと言っていた。還暦近くになって怪獣ブーツ履いて、血ノリを流し火を吹いて空を飛ぶ人に言われれば…そ、そうだよねと言いたくなる。観に来てくれる人がいる以上、自分たちがどう見えるかについて配慮しないで、俺たちは音で勝負するとか言っちゃうのはダメな気がする。
 以前に活動していた時はライブをやるとなるとCD制作直後だったり、それでも演奏面で満足してもらいたくて短期間で曲をたくさん足したりして、見てくれに気を使う余裕がなかった。せいぜい目玉おやじのドット絵がついたTシャツとかを着る程度。しかし、余裕がなかったというよりも、見てくれを考えなかったらそれはバンドとして不完全だと今は思っている。

 僕らはライブができるのが存在価値でもあったので、いまメンバーが足りなくてとか、子育てをしていて、という今の状況では、完全な形で活動できていない感覚が大きい。人前で演奏すると、そのために一所懸命練習したり、見え方を曲がりなりにも意識したりとか、プラスがたくさんあるのだ。では、ライブをしないで人前に出るには……ということでPVを撮ってみた。

 CDのマスターアップ後、1週間で絵コンテを作り、ビデオカメラや編集ソフトの調達と撮影をした。しかし、それでも復活後は絶対見た目に気を使うんだ!と決めていたので、衣装作りは前日に徹夜でやった。

 


 ええと…ジーンシモンズ先生すみませんでした。ダイソーで工作用紙を買い、半紙を貼って作りました。ニスを塗ったら輸送した車がすごい匂いに。
 ロケ地は家から30分くらいのところにある広い公園で、こういったものの撮影が許可されている。ただ、撮影を進めていたら公園の管理者がやってきた。
 管理者「あのう、これは何の撮影ですか?」
 僕「自主制作の映画を撮っています」(経験上こう言うとだいたい許可してもらえる)
 管理者「これは何のシーンですか?」
 僕「……戦いです」
 管理者「戦いですか」
 (なんだこのやりとり)
 その後、管理者は紙に僕の名前と、使用機材=ヘルメット(手作り)と書き記して帰って行った。

 ボブ「ねえ、この波動拳ってどうやるの?」
 僕「ほい、波動拳」(ビーチボール)
 ボブ「鉄球は?」
 僕「はい、鉄球」(ゴムボールにすずらんテープをつけたもの)
 
 まあそんな感じで、公園で散歩するおじいちゃんや、ランニングをする近隣の中学生、お弁当を食べている家族連れが遠巻きに見る中、撮影は進んでいった。しかし、このバンドのアキレス腱ともいえる事態が発生。
 僕もボブも徹底的に運動神経が悪い!動きが遅い、足が上がらない、ジャンプが低い!そして猫背!
 そういうわけで、ケルナグールの必殺技も地味なものばかり。スパルタンXもイーアルカンフーも、しゃがみパンチとしゃがみキックばかり。もう、このバンドの存在自体が旋風脚とか昇竜拳とかじゃなくて、しゃがみキック連打とか、そういうもののような気がしてきたよ!
 …いや、そこまで卑下するものじゃないか。鉄柱とか凶器攻撃のような存在でいたい。

 そんな中で気に入っているのはタッグチームプロレスリングの映像。コマ送りを多用したら人形のような変な動きになった。ボブはこういうバンドをやっていながらゲームにあんまり詳しくないので、動きを言って伝えるのに苦労した。「僕が倒れたらフォールしてくれ。いや、すぐ外れそうな感じで。全然抑えこまなくていい」とか。
 ただ、波動拳さえちゃんとできなかったのは笑った。何度か撮っても手がちゃんと開かなくて、下に来た手がお皿のように上を向いてしまう。うちのバンドのギタリスト、波動拳が超下手ーとか言われるのも変だろうと思って言わなかったけれど。

 撮ってきた映像を連れ合いに見せると、「よく捕まらなかったね…」とのこと。女子にこう言われると危ない橋を渡ってひと仕事終えてきた気になり、悪い感じはしない。捕まるの意味がルパンとかゴルゴじゃなくて、ファーザーとか江頭2:50とかの方に属すとしても。
 その後、一週間使って動画を編集した。音が決まっていてイメージも固まっていたので、映像の光と色調にだけ時間を使った。
 
 こうしてできた動画は、ニコニコ動画とyoutubeに投稿した。


ニコニコ動画は
http://www.nicovideo.jp/watch/sm25170402

 まあ、観てくれる人がどれだけいるかは分からないけれど、とにかく作るのがすごく楽しかったので、またやりたいと思っている。せっかくCDを作ったのだから少しでも多くの人に聴いてもらう努力もしなきゃいけないしね。
 よし、次に備えて体力作りと、足が上がるようにストレッチするか。(楽器の練習しろ)

2014年12月7日日曜日

マスターアップ!

 ついに終わりました!一つ残らず。あとは何もやらなくても工場でCDを作ってくれます。おめでとうございました!

 前回のブログで「録音終わった」と書いたけれど、弾き直してしまいました。
 移動中も、子どもの寝かしつけが終わってからも、録音したものを毎日聴いていたところ、
 「むむむ…ここ聴いてみるとアラが目立つなぁ」
→「でも、これがこの時の精一杯だったんだし、自分で聴くからこそ悪いところに耳が行ってしまうんだよな、そうに違いない」
→「やっぱりダメな気がする」
→「明らかにダメなところが分かってて人に聴いてもらうってのはどうなんだ?」
 …と思えてきてしまった。僕の場合は「聴く人の立場からしたらこうだろう」とかいって、人のせいにしつつ自己満足を追求する。それがよくないと分かっていつつも、やはり録り直してしまった。

 200回弾いたと書いたけれど、そこが気になったのでもう200回くらい弾いた。特に最後の日は本当に必死に時間を作って、部屋にこもって弾いていた。長いフレーズを録音するというのは、最後の方に差し掛かると緊張感も上がってくるものだ。弾いている間の心境を実況中継すると、
「ここまできちんと弾けたんだ、最後までしっかり弾くぞ…よし、ここまでできれば、あとは難しいフレーズは無いぞ。冷静に終えられれば…。ぐあ、最後の音を伸ばしてる最中にノイズが!」「ダメだやりなおし」こんな感じ。それを何百回も続けるのだ。(ま、早い話が、下手だからそうなるんだけどね。)
 根を詰めて弾いていて、あと1トラックのみというところで部屋に娘が入ってきた。どーんとドアを開けた娘と、その後に入ってきた連れ合いに僕は反射的に「うそー!」と言ってしまった……。
 そこまで時間を作ってあげて、しかも夕飯ができたから呼びに来たのに「うそー!」とは何だ!と言って、連れ合いにすげー怒られた。確かに、そりゃそうだ。怒られるに決まっている。どう考えても僕が悪い。

 次の日、ボブにファイルを渡しに行って、その話をした。「いや、もうこの録り直しのせいで、家庭崩壊かと思ったよ…」などと言いつつ、そんだけ苦労して録ったんだからもう一度ミックスやり直しになっても勘弁してくれよ、と。
 ボブは言った。「ああー、それ分かるよ」と。いや、やっぱり彼とは大学一年の頃からの付き合いなので、ひどい言葉をつい言ってしまったけれど録音に集中していた僕の気持ちも分かってもらえるかな、と。

 彼は話を続けた。僕もこんなことがあった…と。
 ボブは実兄に自分の購入したばかりのパソコンを占有されていた。その日もオンラインゲームにのめり込んでいた兄は家族用を含めて家の4回線を自分ひとりで使っていた。ボブは自分もネットをつなぐ必要があったのでルーターを再起動した。すると、とつぜん回線が切れたので兄は言った。「かんべんしてよぉー!」と。
 その瞬間、兄の言い方に腹を立てて、ボブは兄に声を荒げて怒ってしまったことがあるんだと。
 長い付き合いの中で、温和な性質のボブが怒っているところを僕は見たことがない。だから、その事件が彼にとって特殊だったことは分かる。 

 しかし、ちょっと待てよ、と思う。その話からすると、ボブは僕にではなく、僕の連れ合いと家族に同情していることになる。つーか、人のパソコンと回線でネットゲームをずっとしてる君の兄と僕は一緒かよ!
 
 いや、もういいんだ。そうなんだよ…。自己満足の録り直しって、周りの人にメーワクをかけるという時点で、ゲームにハマるのと変わりないんだよね。こんなに録り直さなくても弾けるように腕を磨こうと、音楽とは別の方面から諭されたような気がしました……。

 さて、ボブがミックスをしてくれた音を聴きながら、「ここのベースがずれているみたい」とか「ここのエレピをもっと上げてほしい」とか注文をして、曲を仕上げる。終わったら二人でまた聴きなおす。
 全部の曲について音のバランスや、間違った音がないかという確認作業が終わったら、今度は曲間の時間調整をする。余韻を残すような曲のあと、すぐに次の曲が始まってしまうとよくない。だから、たとえばラスボス曲とエンディング曲の間は少し曲間を長めに設定したりするのだ。それが終わると、データをCDに焼くのだ。
 ここで音飛びしていたらいけないので、他に何もせずただCDだけを最初から最後まで聴く。(市販のCDを買って聴いても、ごくたまにノイズが乗ってしまっているものだとか、音飛びしているものがある。HelloweenのTime of the Oathとかね。)
 こうしてできたのが、このマスターCDRだーー!
 

 いやあ、本当にありがとうございました。体から憑き物が抜けていくような感覚だ。
 もうここまでやってもらったら満足だ。僕なんかでは絶対できないような、すごく良い音になったし、もうこれで聴いた人に音圧不足だとか音が悪いとかも絶対言われない。
 そこでなぜか僕は不用意な一言を口にしてしまった。「なんか、ゼロムスの終わったあとに、シュワーって変な音が少しだけ聞こえるよね」と。「でもいいよ、普通に聴いてて気にかかるレベルじゃないし。これでOKにしよう」と。
 
 マスターをもらって僕が家に帰る途中、携帯にボブからメールがあった。「言われてみればあのノイズ気になる」と。
 僕はまた彼の作業時間が増えてしまうと思い、「いいっていいって。それをまたやり直すくらいなら次のアルバム作った方がいいよ」と返信をした。
 しかし、ボブからは「やっぱりやり直す。マスターは宅急便で送る」とメールが。

 ほら見ろ!やっぱり気になったら人間やり直したくなるんだ。じゃあ僕がこんなにやり直して家族とボブにメーワクかけてもそれは大きな罪じゃないだろ。ボブだって人の見えないところが気になって、こうして直すんだから。
 いや、音楽というものはむしろ見えないこだわりで作られているんだ。このバンドを中心になってやっている僕からすれば、こだわるのが僕だけでなく複数になれば、それは良いものが出来上がる材料にもなるのだ。はははは!

 いや、ちょっと待てよ。そもそも僕が重箱の隅をつつくようなことを言っていなければ、ボブだって満足して自分の役割を終えられたはずなのだ。以前ライブをして、来てくれた人に「いやー、素晴らしいライブでした。今日はもう最高でしたよ。好きな曲もやってもらえたし、演奏もすごくよかったです。…死神博士のMCがちょっと長かったけど」って言われてガーンと落ち込んだのと似てるじゃないか。
 結局僕が悪いのか!

 いやですよね神経質な人って。

2014年11月25日火曜日

録音完了

録音が無事終わりましたー!やったーひゅーひゅー!…ありがたや。
コミックマーケット87での発表となるので、一ヶ月以上前にほぼ作業が終わってしまった。ゆ、夢か!?
活動休止前も、CDを出すとなったら食べたり寝たりする以外は全部音楽に時間を使っていた。だけど1ヶ月前なんて言ったら、まだ録音どころか編曲さえ終わっていない曲がいくつもある…という感じだっただろう。

CD制作を、編曲→録音→ミックスと分けて考えてみる。すると編曲というのは、ある程度出来上がると「このくらいかな」と思える。だけど録音とミックスは果てのない作業なので、もっとやれば良いものが録れるかも、とか、音をここまで追い込めるとか、「今ある時間」をフルに使い切ってしまう類のものだ。僕のギターの技術が5とすると、それを10にするために何十回と同じ曲の同じ部分を録音し直すのだ。はずかしいから曲は言わないけれど、テイク200を超えたものもある。もはや録音というより、練習という域である。まあパンチインをしていないのもあるけれど、さすがにそれは時間を使いすぎだ。(しかも速弾きとかに関する部分ではなく、ゆっくり弾く部分)
よくドラマとかマンガとかで、山奥に住んでいる陶芸家が、焼きあがった皿や壺を窯から出して「ちがう!」バリーン!とか割るでしょう。完全に自分もあの状態です。それをこだわりと呼ぶならカッコイイのかもしれないけど、そんなことはない。試しに陶芸家の皿が、ラーメン屋になったらどうか。寸胴鍋に野菜とか肉とか骨とかたくさんたくさん煮込んで、「ちがう!ちくしょう!」ザー!(鍋の中身を捨てる音)「くっ…いつになったら理想のスープが…」とかやっていたら、勝手にしろというのを通り越して、食べ物を粗末にしやがってという気になると思う。
僕も夜な夜なアンプをつないで音を出しているだけなら罪は無いような気もするが、その分で寝不足になって家族との生活や仕事に集中できなかったら、それは罪悪というもんだ。

ある雑誌のインタビューで、ザックワイルドは「3回弾いてダメなフレーズはもう弾かない」と言っていた。今までの録音に入っていた音は全部3回以内で弾いたということだ。明らかに盛ってるだろと思ってしまうが、ロックミュージシャンというのはある意味サギ師みたいなもんだから、それはいいとする。僕も3回以内に弾けるフレーズだけにしたら…たぶんできあがったCDは、スーパーカセットビジョンとかの曲しか入ってないものになるだろう。
ゲイリームーアは、「レコーディングでいくら繋ごうが、ライブで一発で弾けばそれでいいだろ」と言っている。僕はつなぐこと自体に罪悪感を持っているし、まずライブでミスらず一発で、というのも無理である。

ならば集中力でカバーするしかない!と、録音を始めたら一切休み時間は取らず、というかほぼトイレにも入らず4〜5時間は続けるという形で進めてきた。練習に関しても、仕事から定時で逃げるように帰ると15分〜20分練習できる…というのを繰り返してやってきた。それでも最後は、この連休に録音が間に合わず、休日に娘を児童館に連れて行ってもらって(家をあけてもらって)夜じゃない時間帯に録音ということもした。僕の腕でギリギリというところまではやった。
だから、プレイヤーとしてこれで満足、ということでは全然ないけど、精一杯だとは言える範囲だと思う。

さて、昨日は録音を終えたファイルを全て持ってメンバー(ボブ)の家に行ってきた。ミックス・マスタリングを全部やってもらっているので、その具合を聴いて、どこをどうしてというリクエストを伝えるためだ。
これが本当によく仕上がっていて、満足という言葉以外に思いつかない。デモとして上がっているものとはもう全然出来が違う。というか、やっぱりミックスを夏に始めた素人である僕がやるのとはワケが違う…。
sound cloudのファイルに関して、CDを出すとして試聴できるのは1〜2曲というのはケチだし、クロスフェードデモは大嫌いだし、全部アップしちゃえ!と思っていた。でもこれだけ音が変わると、試聴版は音質を落としています…みたいな感じになると思う。アップしていた時は全然そんなつもりなくてこれでもいい音だと思っていたけれど、結果的にそうなってしまった。
とにかく楽しみにしていてください!

以下、今回のアルバムの収録曲決定バージョン。

タイトル  Push Start My Heart
1  旅の幕あけ (サガフロンティア)
2  オープニングテーマ (ウィザードリィ)
3  First Step towards Wars (イース)
4  アセルスのテーマ (サガフロンティア)
5  パラメキア帝国 格ゲーメドレー (ファミコンいろいろ)
6  行け!月風魔 (月風魔伝)
7  瞳のナイフ ーウルティマー (ウルティマ恐怖のエクソダス)
8  巨人のダンジョン (ファイナルファンタジーIV)
9  最後の闘い (ファイナルファンタジーIV)
10 永遠の夢 ぼくらのパセリ城 (ワイワイワールド2)

10曲かー。よくやったなぁ。てまりんとボブに感謝。
さて、僕は録音が終わってなんにもすることが無くなってしまった。どうしよう…。次のアルバムの曲でも決めるか!

2014年11月19日水曜日

内向的プロモーション ゲームレジェンド編 後編

 前回は行くまでの逡巡に字数を費やしてしまったが、やっぱりいい大人がグズグズしているのはみっともない。今日はイベント自体についてと、いかに私が前向きに、英雄的な勇気をもってして初めて会う人としっかり会話して帰ってきたかについて、つぶさに書いてみようと思う。

 まず、iphoneに勇気をもって行動するときのプレイリストを入れた。筋肉少女帯やメロデス、イトケンのNever Give upとかYesの燃える朝焼けとか、テンションを上げるしかない曲ばかりが入っている。これを聴いていて途中で嫌になって帰ってきたことがない。実に前向きな行動である。

 さあイベント会場に着いたという所で、聴いている音楽は伊福部昭の怪獣大戦争メインタイトルに。これ以上ないくらい、やたらめったら気持ちを鼓舞する曲でちょっと疲れてきた。そろそろ谷山浩子とか聴きたい。ゆーがーんだー王国にー、ぼーくーたちはー住んでるー…
 いや、ダメだ。前向きに前向きに。

 会場の入り口近くにチラシ置き場を発見したので、入場するときにスタッフの方にお願いしてフライヤーを置かせて…もらわなかった。
 あ、あれー?
 とりあえず入って様子を見て、ちゃんとレトロゲームのイベントが行われているのを確認してから置かせてもらおうと思ったのだった。まあ、間違えてEXILEのファンイベントでした、とかは無いと思うけど、こういう時ってすごく慎重になったりしない?
 
 会場のドアを開けてみると、それはもうタイムスリップしたような空間で、何十年も前のゲームが展示されていたり、そのグッズが売られていたり、しかもそこに人がたくさんたくさんいるというのが驚きだった。ああ、僕はゲーム音楽のバンドなんて10年ぶりに再開して、勝手に不安になっていたけど、まだ大丈夫なんだと思った。

 そこでUターンし、フライヤーを置かせてもらうことにした。「あの、チラシを置かせてもらってもいいですか?」よし。噛まなかった。
 するとスタッフの方はこう言った「どうぞ。あっ、パラメキア帝国さんですか」
 
 え、この人僕らのこと知ってるの?やった。10年前のことを覚えていてくれる人が他にもいたんだ!
 いや、ちょっと待てよ。他にパラメキア帝国っていうサークルがあるのかも。しかもそっちの方が有名だったりして。もしくはFF2のパラメキア帝国を知っていて「あなたのサークルはパラメキア帝国って言うんですね」という確認の意味で言ったのかも。
 すると、その人は「ゲームミュージックだと、この辺に置くといいですよ」と言った。
 やっぱそうじゃん!知ってるんだよ。しゃべれ、何を?
 ありがとうございます、覚えていてくださったんですね。また頑張ります。くらい言えばいいのに頭が回らなかった。結局「よろしくお願いします」か何か言ってそそくさと会場に戻ってしまった。

 頭をぐるぐるさせながら会場を歩いていたら、くにお君のTシャツ売り場の人に「そこの素敵な男性の方!Tシャツいかがですか?」と呼び止められる。売っているものも昭和だけど、かける言葉も思いっきり昭和だ。「お似合いになりますよ!」って、くにおのTシャツが似合うように見えるのか。僕のどこにツッパリ要素が?いや、言葉通りに受け取ってもしょうがないんだけど。

 その先で今回の目当てであるゲー音部が演奏していた。ぐずぐずしていて開演に間に合わなかったのだ。Ys2のTo make the end of BattleやMotherのPollyannaをやっていた。いいなー。
 メンバーがとても多く、普通の室内で演奏していることもあり、アコースティックな楽器がメインとなったアンサンブルだった。楽器を持って集まってきた人が自由に、楽しく合わせている感じ。「耳をすませば」でカントリーロードを演奏するシーンがあるでしょ、パッと見てあれを思い出した。

 全部の楽器をバランスよく聞かせるとか、アンサンブルをしっかり聞かせるということじゃなくて、とにかく好きな人が好きに合わせるという目的をしっかり果たしつつ、上手な人がきちっと全体をしめている。キーボードをさば夫さんという方がやっていて、てまりんにもすごく上手だと聞いていたけどその通りで、他にもケーナってこんないい音なのかー、とか、サックスすごくいいなーと思った。ジャズとかフュージョンとか全然聴かないしわからなくて、正直言ってサックスを良いと思ったのって、この時が初めてかもしれない。ホントすみません。(エレキギターとあんまり一緒にならない楽器というのもあるかもしれない)
 恐るべきレパートリーの多さに目が行くけれど、サウンド面でもやりたいことがハッキリしていて、これを聴いて満足しない人はいないと思った。
演奏している人にも、お客さんにも共通して漂っている幸せな雰囲気がすごく印象的だった。いいなー。僕もやりたい。
 (やりたい、やってみたいと思わせることも、このバンドの得難い魅力なんだと思う)

 聴いていたらリクエスト用紙を渡してもらった。その場でうーん、と迷ってしまった。以前、自分でやっていても、⚪︎⚪︎の85面をお願いします、とかそんなこと言われて、「知らないよ!85面って言いたいだけじゃないの!」とか思ったことあるし、いや、85面はないか。
 とにかくリード楽器が活躍しそう、かつ演奏が盛り上がりそうな、「火の鳥」をリクエストすることにした。
 ……あれ?
 まいあがってるのか緊張してるのか両方なのか、「火の鳥 鳳凰編」って書けない!ふだん漢字を扱う職業なのに!やばい冷静になれ、よし!思い出したぞ。ふー…「鳳凰編」。それで、曲名は「大和」。これでよし。うわー、「大和」って書かず「大知」って書いて提出してしまった!ちょっと待ってください。書き間違えました。
 いや、やめた。リクエスト用紙を渡したのはゼルダ姫のコスチュームに身を包んだ女の人だった。僕がコスプレの人に話しかけられるわけがない。

 ステージの第3部が終わったあたりで、行く前にコンタクトを取っていたゲー音部の代表、麺さんに挨拶をした。僕はネットの中で一度挨拶をした人にならけっこう話しかけられるのだ。デジタル世代という感じでしょう。
 麺さんは気さくな方だった。こんなに人が集まってくるのだから嫌なこともあるだろうに…。うう、僕みたいなギスギスした人間とは違う。
「何か弾いていきますか」と言われたけれど、人の楽器を貸してもらうのも、人の晴れ舞台に勝手に踏み込んでいくのもよくないと思って遠慮した。しかしゲー音部の演奏を聴いてすごくいい気になっていた僕は「バンドのチラシをお客さんに配ってもいいですか?」と聞いた。なんかここに来るお客さんで、この雰囲気なら配ってもにらまれたり、その場でケッとか言われて丸められる感じもしなかったのだ。

 快諾してもらってチラシを配ることにした。第4部が終わった後、出て行くお客さんに「お願いします」と渡した。バレエの女の子たちを思い出せ、笑顔で感じよく渡すんだ!きっとバレエ教室の先生もほめてくれる。
 そうしていたら、引き返してチラシをもらいに来てくれる人や、「あ、パラメキア復活するんですか」と言ってくれた人もいた。冬コミ行きますよ、と言ってくれた人も、元気づけてくれる人も。ああ、ホントによかった…

 ゲー音部の演奏が終わると間も無くイベント自体も終了し、僕はゲー音部の打ち上げに参加させてもらうことになった。
 いや、信じられないけれど行ってきたんですよ。人様の打ち上げに。そこで余ったチラシを配ったり自己紹介をしたりできれば、と思ったけれど、まあそれは自分に期待をしすぎだった。そもそもこういう大声を出さないと自分の声が聞こえない空間がもうダメなのを忘れていた。

 そんなわけであまり多くの人とお話できなかったのだが、近くに、素晴らしい演奏だったキーボードのさば夫さんと、やはりその日「ギースにしょうゆ」で拍子木を叩いてその場の雰囲気を全部持って行ったFCBのメイジソさんがいて、一緒にお話しをさせてもらった。かたや北海道からこの日のために参加している凄腕の奏者で、かたや1000人規模のイベントで重要な役割を担うプレイヤーで、二人とも本当に強いこだわりを持ってやっているというのはあるけれど、とにかく話していて安心する感じの人達で、また僕は勝手にああ、僕のやっていることはOKなんだと思った。そして、今週これからCD制作の追い込みをかけるけれど、きっと頑張れそうだと思った。
 
 帰ってからギターの練習をした。CDもそうだけど、ライブをやりたい欲が溢れてきた。イベントで買ったコレをギターにつけて出ようかな。


2014年11月17日月曜日

内向的プロモーション ゲームレジェンド編 〜前編〜

 川口市で行われた「ゲームレジェンド」というイベントに行ってきた。ファミコンなどのレトロゲームのファンイベント/即売会だ。
 本当は録音を進めなきゃ…といっても家にいたら女帝(長女)の相手をしなきゃいけないので、どうせ22:30まで体は空かない。つまり、どうせ練習・録音やミックス作業は夜までできないなら、ゲー音部を聴きに行くついでに情報収集と宣伝に行こう、と思った。
 休日に娘を置いて出かけるのは気がひけるなあと思いつつも、この日は女帝のことを連れ合いにお願いすることにした。

 とはいっても、まず「宣伝」という行為自体に対して消極的、かつ人見知りパワー255の自分のことである。はっきり言って、何も用意しないでうまくいくはずがない。そう思い、今回はフライヤー(チラシ)を用意することにした。
 各イベントにはフライヤー置き場があると知ったので、そこに置かせてもらう。また、サークルの頒布物を買った時に、「こんなのやってます。よろしくお願いします」と言って渡したらいいんじゃないだろうかと思った。
 あと、偶然知り合った人に渡すとか、会場の出口で配るとか。(そんな積極的なこと自分にできるのか、とは思いつつも)

 イベント前日、女帝が眠りについた22:30のことである。さあフライヤーのデザインを考えるぞ、と思ったらある出来事を思い出した。
 何年か前、僕が髪を切りに行った時のこと、ドアを開けて店から出てきたらそこに小さな女の子が二人立っていた。店に入るのかなと思ったら、そうではないようである。二人は僕の方を見て、「よろしくお願いします」とチラシを差し出した。
 見てみるとそれは、バレエの発表会のお知らせだった。二人は髪を後ろできちっとまとめていた。レッスンの前後なのかもしれない。寒い季節だったけれど、その場にずっと立っていて、道行く人にチラシを渡しているのだ。
 立派だなあと思った。音楽も踊りも相手があってのことで、目の前の人に向けて心を込めて表現をする。であれば、お客さんも自分が足を使って勝ち取らなければならない。自分も謙虚にならないと、と感じた。
 そして、自分の手でチラシを配るよう指示をした、(おそらく年輩の)街のバレエ教室の先生の顔を思い浮かべた。きっと留学経験があって、今も生活の中で暇さえあればストレッチをしているのだ。

 そういうわけでフライヤーには勝手に良いイメージを持っている。以前行ったイベントでは印刷所に頼んだであろう綺麗なチラシばかりが並んでいたが、僕は敢えてマジックで書き、白黒でコピーしようと思った。新聞の折り込み広告でも、スーパーの野菜や肉の写真が並んだきれいな写真より、手書き一色の八百屋のチラシの方が見てみようという気になる。
 …いや、僕がそうするだけで他の人はどうだかわからないな。やっぱり綺麗な方がいいのか?しかし、年配のバレエ教室の先生だって教え子に「あなたがた、手書きでチラシをお作りなさい」とか言うような気がする。だから手書きでいいのだ。

 そういうわけで書いたチラシがこれ。
 


 うーん、どうなんだ?これ。
 しかし家庭用のプリンタでさえフチなし印刷できるのが当たり前なのに、コンビニのコピー機って四辺5ミリも写らない範囲があるのね。それに苦労して深夜のローソンで怪しいチラシをコピーしては失敗しまくり、結局家に帰ってからはみ出した部分をカッターで切るという作業をしてしまいました。
 これ。



 いや、ここまで来て気づいた。このチラシって、僕らがゲームミュージックのバンドをしていて、ちょっとハードロック寄りで、昔のコナミやFFの音楽を演奏してて、CDを出すということが何も伝わらない!
 作っているときは情報量が少ない方がカッコイイと思っていたけど、これ要するに、昔のパラメキア帝国を知っている人が「おー、また始めたのか」と思ってくれる、ただそれだけの紙になってしまった。

 まあ、いい。こうなったら、もう僕という内向的な人間が自分のバンドのフライヤーを作って、それを人の手に渡す、それが目的だ。バンドの宣伝をしにいくというより、謙虚になって自分の魂を清めるため、ということにしよう。もういいよそれで。

 …さて、そこまで作業をして寝たわけだが、知らない人に会うと思うと緊張して朝5時には目が覚めてしまった。仕方がない楽器の練習だ!とやっていて、プリキュアが始まるくらいの時間になったら女帝や連れ合いが起きてきた。そこで口をついて出たセリフ。
 「なんかさあ、知らない人に会うと思うとさあ、行きたくないんだよね…」
 我ながら引きこもりのような発言であるが、十年来の付き合いである連れ合いには「まあ、そうなるよねー」みたいな感じで軽く流された。
 さて、カバンに財布を入れたり、着替えたりしてとにかくグズグズしていたら、既に僕が出発したと思った連れ合いの声が二階から聞こえてきた。
 「なにこれ!?フライヤー忘れてるじゃん。バカだ!電話かけるか!」
 
 はじめてバカって言われた!そして家の中にいるのに!
 バカって言ったな!まだいるよ!しかも忘れていかねーよ!と二階に上がると、「いや、君ならこういうのを忘れて行きかねない」と居直られた。そんな深夜のコンビニに行ってさんざん苦労して、しかも早朝に一枚ずつカッターで切ったものを忘れていくなんてことするか!と思ったが、まあ確かに、するかも。僕なら忘れていくな、きっと。

 そんなこんなで家を出た。  つづく。

2014年11月12日水曜日

自転車ですっ転びました。

 何日か前にブログで「腕が折れなければCDは完成すると思う」とか書いたけど、今日は本当にその通りになるかと思った。
 自転車で出張に出た。帰りに普通の速度で走っていたら、車が左側をずいぶん塞いできて、やだなあと思いつつも少し左に寄りながらそこを通り抜けようとした。そしたら道の端っこにでっぱりがあって、それを知らずに突っ込んで行ってしまった。
 前輪がパンクしてチェーンがはずれ、後輪が浮いて自分は前に投げ出された。両手をついて膝と肘を打ち、半回転して仰向けに地面に倒れた。自転車通勤をして初めてというくらい大きな転び方をしたので、これはやばいと思った。
 同時に思ったのは、転んだときに手のひらはついたけど、指は怪我しなかったので楽器は弾けるということ。よかった…。でも、両手の平がボロボロにむけて、ちょっと焼いた牛肉みたいなビジュアルになったので、まあネックを握ると痛いです。あと、膝と肩に変な痛みがある。まいった。
 家に帰って見てみたらスーツは破けてるし、サイクルコンピュータ(速度とか出るやつ)が壊れていた。そっちの意味でもけっこう痛い。

 僕は痛みに弱い人間で、人がケガをしているのを見ていても、どんなに痛いか想像して勝手に苦しんだりするくらいである。そういうこともあって、痛みに耐えて何かを成し遂げましたとか、ガマンしましたという話には素直にすごい!と思ってしまう。
 僕が好きなのは、出典とか気にならないくらいに現実を超えたレベルの話だ。

 僕が子供の頃、父が「アメリカの大リーグはスゴイぞ」という話をしていたことがある。僕の親世代だったらそういう人は多いと思うけれど、ずーっとテレビの野球中継をつけっぱなしで、「今のがストライクかよ!」とか「そんな球を投げるから打たれるんだろうが」とか文句を言いながら観ていたものだ。そんな父親が、いかに大リーグがすごいかということを熱弁したことがあった。僕はたぶん小学生にはなっていなかったと思う。
 球が何km出るとか、ホームランを何本打った人がいるとか、そういう話は覚えていない。僕の記憶に残っているのは
 「いいか、大リーグのピッチャーはすげえんだぞ。フォークボールを投げると指の間にものすごい力がかかるだろ?それで人差し指と中指の間が裂けるんだ。それでな、ベンチに行ってセメダインを出して、くっつけて投げ続けた選手がいるんだってよー」という話である。
 セメダイン!そんな身近な文房具を傷口につけて投げたのか!すげーしみそう!と恐れ慄いたのを覚えている。試合が終わったら、固まったのをどう剥がすんだろう。また裂けるて血が出るんだろうか…なんて想像をして、勝手に痛がったものだ。話の真偽はさておき。
 そんな話が脳裏に残っていて、小学二年になったらファミスタに「メジャーリーガーズ」が出たのだ。日本シリーズで優勝するチームより遥かに強く、全員4番バッターみたいにホームランを打つので、どんなにファミコンが下手な子でも勝つことができる。カセットを買った人も遊びに来た友達も、なんじゃこりゃ…と呆れていた。しかし、僕だけは友達に「メジャーリーガーズ」強いのは当たり前だ!と熱弁をふるった。だって、大リーガーってのは、セメダインをだぞ、と。
 
 同じく痛くてスゴイ話。
 中学生のころ、社会の先生が自由民権運動について教えてくれた中に、自分がいかに強い覚悟を持って思想を実現しようとしているかを演説していると、だんだん話がエスカレートしてくるという話があった。板垣退助も、演説中にいきなり刺されて「板垣死すとも自由は死せず」と言ったとか、超カッコいいけど真偽のほどは不明、なんて話もその中にあった。もうひとつの話がスゴイ。当時は「切りつけられて腸が腹から出てきたけれど、それを相手に投げて縛って演説を続けた」と言った人もいたらしいよ、と先生が言っていた。
 その後、高校や大学受験のために日本史を勉強していても、ついに「腸を投げた人」の話は出てこなかった。自由民権運動をしている政治家のうちで、誰がいつそう言ったのか真偽は定かではないけれど、とにかくそんな話が出てくるということ自体、人間の想像力って本当にファンタスティックで、すばらしいと思う。

 さて、僕の両手のケガも別にギターが持てないほどじゃないので、「痛みに耐えてギターを弾きました」という話にはならなさそうで残念である。逆に「痛みに耐えてコミケにCDを出しました」って言うとあんまりカッコよくないような…
 まあ、それよりもだ。ケガをして帰ったら連れ合いにはすごく心配されて、気をつけなきゃダメだよ!とけっこう本気で言われた。そして長女には「おとうしゃん、ばんそうこ貼ってあげるね」といたわってもらった。僕、けっこう大事にされてるんですよ?うははははは

2014年11月5日水曜日

冬コミ受かりました

 冬のコミックマーケットに無事受かりました。12月30日(火)で、東ユ05bとのことです。当日はよろしくお願いします。
 
 当落に関係なくCDの編曲と録音作業は続けようと思っていたけれど、やはり締め切りが確定すると気持ちも引き締まる。昨日でメドレーの録音も済んだので、作業の進行としてはいい感じだと思う。あと1曲足せればいいかな。

 今回はいろいろな面で周りの人を頼っている。活動休止前までは全部ひとりでやるものだ、それができないのはやる気が足りないのだと思い込んでいた。
 
 今回のミックス/マスタリングは全部ボブに頼んでいる。
 デモ音源については僕もやってみたけれど、これには物凄く時間がかかる。そして僕の中には「音圧はできる限り上げないと」「ひとつひとつの音がクリアに聞こえないと」という、サウンドエンジニアとしては当然持っているべき感覚が足りていないと感じた。そもそも昔のロックのCDが好きだし、ゴチャゴチャして渾然一体になっているサウンドを心地よく思うのだ。たとえばクリムゾンキングの宮殿を聞いても、リマスターされたCDは音の分離が良すぎてのめり込めない。それに、大きな音で聴きたければボリュームを上げればいいという感覚をいまだに持っている。
 ボブに頼んでやってもらった曲はどれも、とても音像が整理されており聴きやすい。もちろん以前よりも良いマイクを買ったり、ソフトウェアも進歩したというのはあるけれど、彼が努力を重ねて腕が上がったおかげで、以前のパラメキア帝国と比べて格段に音が良くなっていると思う。

 編曲についても今回は全て、てまりんとの共同作業で行っている。
 今まで四苦八苦して結局変なコード進行になったり、ピアノとかにありえないようなフレーズを入れていたのが、流れも音も自然で、しかも新鮮味のある編曲にできたように思う。何しろ彼女はキーボードをどんどん弾けるので、打ち込みに比べてずっと生っぽいし(弾いているんだから当たり前だが)、さらにポチポチ音符をひとつずつ打っていたのよりも圧倒的に早い。
 共同作業というのは「ダメだ、こんなんじゃだめだー。オレはロクなフレーズを思いつかない…」なんて、煮詰まってできたような物にもなりにくい。とにかく健康上とても良い。よくできたら、すぐ一緒に喜んでもらえるのも良い。
 
 そして、今回のCDの目玉、と勝手に思っているのはジャケットの絵を人に頼んだことだ。
 まあ今まで本当に、これだけは何とかしたいと思い続けていたことだ。だいたいCDを作るときにはボブの家にお邪魔して泊まり込みになり、二人とも心も体もボロボロになりながら、僕が録音をして、それをボブのパソコンに入れてミックスしてもらう。その間に、ひげもそらずに楽器を鉛筆に持ち換え、中学校の美術以来で僕が絵を描き、急いでカラーコピー…みたいな、いま考えても恐ろしくなるようなジャケット絵だった。
 今回は、てまりんの知り合いで絵を描く方がいて、彼女を通じて頼んでもらった。先日、初めてお会いして自分の思うことを伝えてきたんだけど、それはもう本当に貴重で素敵な経験だった。僕の持参した資料はすでに持っていたり、僕がすごく好きな絵本作家や画家の絵についての話が全部伝わったり、ぼんやりした物言いもしっかり理解してもらうことができたからだ。自分の思っていることを形にしてもらえるのは本当に幸せなことだと思ったし、何より絵が出来上がるのがめちゃくちゃ楽しみだ。
 
 さて、僕も頑張らなければいけない。残った曲の録音と手直しのために練習を。それと、残ったもう一曲のアレンジを良いものに仕上げなければ。
 また、CDのプレス業者もいろいろと見ながら選ぶ必要がある。これはバンドの発足以来決めていることなんだけど、そもそもこのバンドは人様の曲を演奏させてもらっているので、1円たりとも自分がもうけるわけにはいかない。価格もできるだけ抑えてなるべく多くの人に手に取ってもらえるように、そしてジャケットの絵やデザインをしっかり生かすせるように…と思うとその分選択肢は減ってくる。
 あとは発行する枚数も考えものだ。ファミコンなどの音を編曲や演奏してCDにしている人も減ってきているし、聴く人も減っているのではないか。以前はだいたいイベントに100枚持って行って、それがすぐ無くなってしまって、ホームページの通販ではもっと多くの枚数が出たけれど、今はそう簡単にはいかないと思う。このブログだって20人くらいしか見ていないと思うし、じゃあ20枚でいいのかって言ったら仕事を頼んでいる人に失礼だ。
 もう宣伝を頑張るしかない。…と思っているんだけど、これが生まれ持っての消極的な体質でちゃんとできる気がしない。もう、ぶどう酒のビンに広告を入れて江戸川にたくさん流すことにするか。

2014年10月31日金曜日

バンドの今後について

 以前に活動していた時、作業していたパソコンがいきなり壊れてバックアップ取っていなくて、いやそもそも作業に時間をかけすぎなのがいけないんだけど、結局CDの完成を期日に間に合わせられなかったということがあった。
 それ以来、もともと僕は期限ギリギリにエネルギー大爆発するタイプなんだけど、メンバーは全員コツコツ少しずつ進めるタイプなので、このバンドに関してはとにかく前倒しで物事を考えて、慎重に進めるように心がけている。

 今回のCDについては僕が録り貯めていた曲に、ボブがバッキングのギターを録り直して、ミックスとマスタリングをやり直して、あと少し曲を足して、完成しようと思っている。その作業もかなり進んできていて、僕の手元にはほぼ完成という状態の曲が揃ってきている。
 ここでパソコンが爆発したり僕の腕がへし折れたりしなければ大丈夫だと思うんだけど…。
 
 失敗する可能性を考えていくと、最大の原因は僕の性質にある。「全部録り直し病」にかかってしまうのだ。録りが終わった段階でそれをipodなどに入れて何回も聴くので、「こりゃダメだ、こんなの人に聞かせたら末代までの恥だ…」みたいな気持ちになってくる。たとえば「リズムと音程を正しく弾く」みたいな分かりやすい尺度があればがいいんだけど、僕のいつも陥るのは「なんか違う」とか「感情が伝わらない」という曖昧なところだ。
 それで全体に余裕がなくなったり、完成がギリギリになってしまったりしては困る。もう今回は「その時いいと思って弾いたんだからこれでいいんだ」と思うようにした。弾いた瞬間の気持ちなんてきちんと覚えてはいないし、弾き直したらその直後は「きれいに直って良かった」と思うかもしれないけど、あとで冷静になって両者を比べたらどっちがいいかは分からない。
 それに、うちのバンドの場合はどんどん色んな曲を録って細々とでも活動を続けていくのがいいと思う。そして、一音とか二音にこだわるよりは、自分でも色んな曲を弾いた方が楽器や編曲が上手になれる気がする。

 …というわけで、いま録り直すのは最小限の5〜6箇所にしようと思っている。
 この三連休でメドレーの曲を録って、あとできればもう一曲やりたいけど、二次元人が無理そうだったら自分でミックスもやっちゃおうと思っている。こうして12月初旬くらいに完成し、CDをプレスに出したい。
 もうCDRを焼いて、ジャケットをプリンターで出してカッターで切って…ってやりたくないのです。自分の体が空くのは平日も土日も22:30以降で、それ以前は完全に長女に拘束されているので、そんなに遅くから内職みたいなことはできないよー…

 二次元人にはコミックマーケットに応募してもらっている。その当落が明日出るらしい。それを目指して作っていたのはあるけど、落ちてもとにかく同じペースでCDの完成までは進もうと思っている。気が抜けてもいけないからね。
 
 さて、それでできたCDを何枚作るかが問題だ。
 先週の日曜日、M3という音楽系のイベントに行ってきた。娘と遊ぶ約束をしていたので、会場には20分しかいなくてすぐ帰ったけど、雰囲気は知ることができた。
 いやー、びっくりした。レトロゲームでやっている人が以前に比べて少ない!なぜー?
 まあ好きでやっている以上、流行っているかどうかは全然関係ないし、以前もすごく好きになってくれる人が少しいて…というバンドだったけど、さすがに心配になりました。

 で、他に流行っているジャンルの、ボーカロイドとかビジュアル系とかアイドルとかのブースも覗いてきたけど、やばい!
 コスプレなどの格好をした人がガンガン客引きをしていて、迫力がすごい!気を抜いたら吸い込まれてて、ハッと気がついたら地下アイドルの、舞台がせり上がってくるときの下で歯車をぐるぐる回す一員とかになってそうだ。
 ああいうものと、僕らみたいなファミコンの音楽を弾いてますみたいなのが同じフロアにあって、こっちに人が来るのか、と。
  
 心配ばかりしていてもいけない。きっとファミコンの音楽好きな人は今も好きなはず。そして、アイドルとかコスプレに異様な迫力を感じたのも、僕が女の人を苦手なだけだと思うことにしておく。
 そういえば以前、ボブと新宿のトルコ料理屋に入ったらちょうどベリーダンスの人が来て店内で踊ったことがあった。ベリーダンスって、水着みたいな衣装で、腰をぐにゃぐにゃ動かすでしょう。ドラクエ3の、アッサラームの町で夜にやってるやつ。
 僕はまともに顔を上げられず、せっかくおいしいエスニック料理を食べに来ているのに、給食を残さず食べるよう強要されている小学生みたいな気持ちで下を向いて食べました。そういえばその時、ボブはお酒飲んでニコニコしながらダンスを眺めていたなぁ。あいつめ!

2014年10月26日日曜日

今も昔もみんなのうたが好きだ。

 みんなのうたが好きだ!もうこれには誰も異論ないことでしょう。

 60年代、子どもたちに歌の楽しみを伝えたようと始まった番組らしい。僕にも子どもが生まれたので大手を振って観られるようになった。
 たしかに今の放送を見ていると、うーん…という曲もある。ただ、そもそも昔を思い出してみたらそんなに全部が名曲という感じでもなかったような気がする。ジャンルも歌い手もバラバラだし、いろいろな音楽を子どもに紹介するという意味合いも強いだろう。放送されるどれか一曲でも子どもの心にひっかかるものがあればいいのだ。

 すごいのはそんなバラエティ豊かな曲のどこかに必ず「みんなのうたっぽさ」があるということだ。ジャンル:みんなのうた、みたいな感じで。
 普通のアーティストのCDを聴いていて、「なんかこれ、みんなのうたっぽいな」と思うことがあるが、そういうのは大体自分の好きな曲だ。

 一曲の中のストーリー性とか、音楽と映像の一体化というのは、考えてみれば自分の音楽的嗜好の根幹を成している部分だと思う。
 聴いていて映像が思い浮かぶ曲っていいじゃないですか。僕が筋肉少女帯とか人間椅子を好きになったのも、当時バンドブームという大きな流れはあったにしても、「詩人オウムの世界」とか「夜叉ケ池」にストーリーと絵を感じていたからだ。
 詩人オウムの世界なんて、詩人の言葉が風に乗って蝶の群れとなり…って、絵になったら絶対美しいでしょ。(あと、夜叉ケ池はホントにすごい曲なのに、そのPVがホントいけてない。)

 話をもとに戻して、今のブログはYouTubeを貼り付けることができるから、お気に入りソングを紹介しようかなーと思ったら、これがあんまりアップロードされていない。まあ、そうなるだろうね…。

 NHKのEテレにはお願い編集長というホームページがあって、そこでリクエストすれば昔の曲をかけてくれる。しかし50年以上もやっている番組で、好きな曲に当たるまでは気の遠くなるほど時間がかかりそうである。(それでも録画はし続けているけど)

 一応いまYouTubeにあるものだけでも…ということで少しだけ。

 ただし、みんなのうたには超A級有名どころから、入手難易度Z級みたいな幻の曲もある。今さら「メトロポリタン美術館」や「キャベツUFO」が素晴らしいとか「まっくら森」って怖いよなと言っても意味がないので、それよりはちょっと有名じゃないかもしれない曲の中から選んでみたい。


 最近の曲から、「誰かがサズを弾いていた」。
 見られない人はこちら。







 歌はヤドランカ(ALSを発症してボスニアに帰国したらしい…)で、映像(人形)はなんと宇野亜喜良。すげー。開始30秒くらいで観た子どものトラウマ決定!悪夢みたい。そして美しい。
 何年か後で大人になって「あれはなんだったんだろう」ってこの曲を思い出せる今の子どもがうらやましい。見ているとつくづく、滅びや死と安らぎは一体のものであると感じられます。

 では自分が子どもの頃の思い出の一曲を。
「ポケットの中で」
  見られない方はこちら。





歌は斉藤由貴、歌詞は銀色夏生、絵はやなせたかし。今、個人的にブーム到来中の80年代サウンドにちょっと抽象的で切ない歌詞。
 そしてこの絵がホントに素晴らしい。やなせたかしってアンパンマンというより、僕には「やさしいライオン」とか「チリンのすず」といった「なんでここまで子どもを悲しませたいの?」という絵本のイメージが強い。この歌ではそっち側のやなせたかしが、歌のコンセプトに合った(ちょっとマグリット風?)絵を描いている。
 いま改めて見ていると、誰も好きになっていないのに失恋していた子ども時代の僕の気持ちに優しく寄り添ってくれた曲だなーと懐かしく思われます。

 ああ、なんだか深刻な曲ばかりになってしまった。不条理系も好きなんだけど、地球ネコとかテトペッテンソンとかはYouTubeにはありませんでした。昔はトレロカモミロとかハメハメハ大王が好きな、朗らかな子どもだったこともあったのに、怖いのと暗いのが心に残るんだよなー。

 ところで、みんなのうたに影響を受けた人が今は曲を提供していて、畑亜貴の「図書館ロケット」とか、やくしまるえつこの「ヤミヤミ」も楽しく歌っていていいなと思う。あ、平井堅の「おじいぃさんのー、とけひぃい〜」、アレはやだ。



2014年10月22日水曜日

イクメン雑誌の怪

 ママ雑誌はジャンルが本当に細分化されていて、お母さんがどんな生活を志向しているのか、趣味が何であるのかによって色々と選択肢があるように感じる。うちは夫婦そろって雑誌が好きだから毎月いくつか買って、それを眺めては「こんなものが出たらしい」とか「こんなイベントやってるらしい」と情報を集めている。

 では、これだけイクメンという言葉が定着したいま、「パパ雑誌」はどうかというと、かなり極端で面白いことになっている。
 まずパパ雑誌というものは多分、二誌しか出ていない。
 
 ひとつが、「日本唯一のイクメン雑誌」とか言って華々しく創刊されたFQ JAPANである。これは、僕が買う雑誌じゃない。だって、まず表紙がジョニーデップとかネイマールとかだよ。「セレブイクメン」という言葉が当たり前のように使わるし、「リオネル・メッシの子育て」とか「デイビッド・ベッカム流、妻の愛し方」とか、参考にしたい父親って日本にどれだけいるの?あと、僕はリフティング10回くらいしかできないので、この雑誌を買う資格自体がないと思われる。

 今日紹介したいのは、後発パパ雑誌である「fam」だ。これかなりイケています。



 育児に積極的に参加し、なおかつ自分の趣味も楽しむような理想の父親像が提示されています。



 カッチョ良すぎてめまいがします。
 この、子どもとお揃いの迷彩柄のパーカー、本気っぽいフィッシングベスト、そして子どもより短いショートパンツ。ホントに君はその手でイソメとかつけるのか?

 はい、次のカッチョいい写真。



そのポケットに突っ込んだ左手はなに!?こんなお料理、軽くやっちゃうよ的な余裕?
 そんなに手軽にできるなら「土日にはこれくらいやってます」的な雰囲気出してないで毎朝作ったら喜ばれるのに。(そんなトンデモなフライパン使わない方が手早く作れると思うけど…)

 ファッションは置いといて記事について。
 「おしゃれパパの一人の時間」「scene1 顔なじみのカフェでおいしいコーヒーを」「scene2 開放感のある浜辺でレンズを構える」
 
 


 ひとこと言っていいか?サボってんじゃねえ!

 そして、表紙にも載っている一押し記事(?)の「あの漫画のヒロインの育て方」。愛娘を理想の女性像に育てる!とかいって、出ているヒロインの人選が凄い。



 スラムダンクの赤木晴子、ドラゴンボールのブルマ、タッチの南ちゃん、野田恵、そしてエリアの騎士の美島奈々の五人。なんとも女子マネージャー率の高いこと。厳密には赤木晴子はマネージャーじゃないのかもしれないけど、キュートな癒し系とか家事はなんでも完璧とか、娘をそう育てたいというのと、自分がそういう女の人が好きというのは違うと思うよ…。


 そしてグッズの紹介ページより。



 なんだこりゃ!「シエスタの国スペインから来た、どこでもうたた寝できるかぶる枕」だって。「デスクに突っ伏してもよし、床に転がってもよしと寝方は自由だ」と書いてあるけど、どう見ても自由に見えない。窒息しそう。お母さんが帰ってきて、子どもと父親がこの姿だったらすげービビると思う。
 この雑誌おもしろいからこれからも買おうと思います。
 

 まあ、こうして見ていると、いかに「イクメン」という概念自体が上っ面の理想像であるかが分かる気がする。とにかくもっと現実を見ろと言いたい。
 
 え?僕ですか。そりゃダースベイダーみたいに我が子の最強の敵として君臨しつつ、最後は身を呈して子をかばって死にたいですね。
 

2014年10月19日日曜日

ストーリーのあるPVが好きだ。

 以前パラメキア帝国というバンドで活動していた時は、曲はmp3などのサウンドファイルでアップするのが当たり前だったように思うが、ニコニコ動画やyoutubeなどを覗いてみると、本当に時代は変わったと思う。プロが本気を出して撮ったものでなくても、気軽にPVが作られ、それぞれかなりの再生回数が記録されている。
 しかし、それこそThe BugglesがVideo killed the radio star〜♪と歌ったのは1979年だし、音楽だけのものが映像に敵わなくてもそりゃ当たり前だ。
 では何を言いたいかというと、パラメキア帝国もPVを作ってみたい!ということなのだ。バンドメンバーさえ確保できていない上に、音楽だけでも中途半端なのに何を言うんだと思われるかもしれないが、やってみたいんだから仕方ない。実は以前、30分ほどの映画を3本撮ったことがあって、苦労は確かにあったけれども、その楽しさは格別なのだ。

 ただし、作るとしてもゲームの画面を使うというのはやりたくない。また社会的な立場上、顔を出して演奏するのも避けたい。では、ニコニコ動画に出ている人のようにかぶりものをして演奏するか…うーん。なんだか、それなら顔を隠す必然性のある内容の映像にしたいなぁ。
 昨日作り終わったばかりの格ゲーメドレーはPV向きだと思っていて、撮りたいシーンも思いつく。どうせCGとかその他のエフェクトに凝っても最新鋭のものに比べて、また何年後かに観てチャチなものになるんだから、技術面に関してはアナログでやりたい。
 まあ、こうして条件を並べただけでトホホなものになり下がることが分かりきってきた。いい感じだ。

 そういう時はプロが作った素晴らしいPVでも観て元気を出そう!ということで、久しぶりに観たいものをyoutubeで検索してみた。新しいもので良いものもあるのだろうが、何か、そんなに見つからない気がする。プロのミュージシャンが今そんなに気合い入れて作っていないのかな。
 
 僕の好きなタイプのPVは、
 ・曲を通したストーリーが感じられる。できれば映画っぽいもの。
 ・なおかつ俳優だけでなく、ミュージシャンが演技をしている、もしくは演奏が入っている。
というものだ。
 その範疇のお気に入りを三本挙げてみるが、こういうのを撮りたいわけじゃない。(無理だし)

 まずは、MuseのThe Knights of Cydonia。
 見られない方はこちらへ。


 サムネイルが怪しいけど、中身はもっと別の意味で怪しい。まるでエル・トポをかわいくしたような荒唐無稽西部劇。なおかつトンデモSFとカンフー映画を混ぜて作ってあるという素晴らしいPV。しかも無駄にハイクオリティ。ミュージシャンの正しいお金の使い方ってこういうことだと思う。最初に出てくるカンフーの型の中の、「CIRCLE OF DEATH」っていうのがお気に入り。それとエンディング直前、にくたらしい宿敵と決着をつけるときの技が意味不明すぎて素晴らしい。

 次に、The Birthday MassacreのLooking Glass。
 映らない方はこちら。

 デジ風味ゴシックロックで長年大好きなカナダのバンド。学校を舞台に、B級ホラー風味で統一した映像だけど、そこにメンバーの演奏が入ってくるあたりが本当にカッコイイ。特にボーカルのキレっぷりがいいと思う。ちょっと脱線するけど、こういう80年代的なキーボードの音、RammsteinやFlying Corols、Ram-Zetなんかでもそうだけど、そこに歪んだギターの音が絡むサウンドが僕にとってはいま一番魅力的に感じられるので、研究中。

 最後にド定番、Kate BushのCloudbusting。
 映らない方はこちら。

 圧倒的に映像が美しく、絵本のようなお話。85年の映像だけど、もうこれ以上に素敵なPVなんか作られないだろうな。モデルにされている科学者や、この装置については別に知らない方が純粋に映像と音楽を楽しめると思う。現実とは違う部分も多いわけだし。
 この映像と、唯一残っているハマースミスオデオンのライブ映像を観て、毎晩独りでポロポロ涙を流していた時があったなぁ。そういうのって無いですか。


 さて、僕は元来メタルファンなので、本当はカッコよくするはずだったのに、どこかでボタンを掛け違えてしまったようなPVもまた大好きだ。また次の機会に紹介したいと思っている。

 

2014年10月13日月曜日

プログレやメタルの「ダサさ」を考える。

 先日、Yes のDVD(Symphonic Live)を観ていたら、演奏の途中で画面がプレステ初期のような古いCGになって驚いた。天使のロボットがガックリうなだれたようなポーズになって、それをもう一人の天使のロボットがなぐさめているような映像。なんだこれ。観てる人がガックリくるよ…。
 なんだろう、プログレッシブロックのライブって、いくらノリの良い曲でもみんな座っておとなしく聴いて、時々ウンウン頷いたりして、曲が終わってから拍手…みたいな印象があるんだけど、それって演奏に集中するためじゃないんだろうか。 それを曲の途中でこんなチャチなCG見せられてもなあ。その他にClose to the Edgeで突如としてミステリーサークルの(やはりひと昔前の)CGになったりも。

 ただ、プログレッシブロックに「意味深にしようとして失敗しました」的な試みというのは「あって当然」で、目くじら立てることじゃないような気もしてきた。ミステリーサークルに限らず、ストーンヘンジとかオーパーツとか、プログレバンドが大真面目にアルバムジャケットやステージセットに持ってくるようなイメージがある。
 プログレ史上最大の名曲の一つであるタルカスだって、アルマジロ型戦車が火山から現れて、マントヒヒとサソリが合体した化け物と戦ってさんざんそこら中壊しまくって、海に帰って行くっていうストーリーなわけでしょ。別にファミコンゲームのストーリーでも子ども向けに作られたものでもなく 、大の大人が真剣に「コンセプトアルバムです!」って言って作っているんだから。





 夢中になって聴いているときは何とも思わなかったけど、一歩引いてこのジャケットを見てみると、過去に戻って初めて聴いた自分の肩を思い切り揺さぶって、「おい、君!君の感性は本当に大丈夫か!?」と聞きたくなる。

 ただし、「これさえ無くせばダサくない」とプログレのはずかしいコンセプトやアートワークを取り払ったら、もちろんそれはプログレでは無くなるだろう。現在活躍しているプログレバンドの何がひと味足りないかって、こういう「目が血走ったような本気度」だと思う。サウンドは昔に比べてずっとキレイになって、プレイヤーのテクニックもずっと向上しているのに、なんだか一枚聴いてもサラッとしていて、ドーンと心に残るものが少ないように思う。
 

 しかしこれはプログレにだけ言えることではない。「これさえ無くせば」の宝庫といえばやっぱり我が心のふるさとであるHM/HRである。さあ、行ってみよう!
 



みんな、コレを何とも思っていなかったよね!


 上の人の実写版。この人のソロいっぱいコピーしたよね!メトロノームゆっくりにして、だんだん速くして練習したよね!それを学園祭で、同じポーズで弾いたよね!(うあああ…)

  他にもハードロックやメタルには昔も今もこういう人がいっぱいいるんだ。
 




 でも、いまテレビから流れてくる音楽を聴いていてもサウンドとしてのメタルは根強く残っている。映画なんかの盛り上げどころでメタルっぽいリフが使われていることもある。メロディは覚えやすいものが多いし、展開も分かりやすく、しかもテンポが速くて本当はメタルって聴きやすい音楽だと思う 。
 では、長髪と革ジャンとイガイガのリストバンド、ドラゴンとか悪魔とかバビロンの城門とかカロンの渡し守とかそういう歌詞を無くせばダサくないのか…って、それはメタルではなくなってしまう。本人が真剣にやっているんだからこれで全然 OKなのだ。
 
 では何故、新宿のディスクユニオンプログレッシブロック館に行っても、メタルの一大イベントであるラウドパークに行っても、うつむいている人が多いのか。
 HIPHOPとか聴いている人はあんなに世間に向けて自分の趣味嗜好をアピールした服装や言動をしているように見えるのに。それに、今の中学生〜大学生を見ていると、自分の好きなものに素直だと感じる。電車の中でゲームをして、ボーカロイドを聴いて、家ではアニメを観て、という人が増えたし、それをおおっぴらにしている。仲間が多いからだ。
 
 プログレもメタルも、ファンがもっとオープンになればいいと思う。リスナーの裾野が広がればもっと勢いのあるバンドが出てくると思うし、来日するバンドも増える。

 ではどうすべきか、僕は浮沈のカギを握るのはキャラクタービジネスであると思っている。いくつかのバンドには、何故かイメージキャラクターがいる。それをゆるキャラのように売り出せば、子どもや若い女性にも受けるのではないか。そう、メタルとプログレには子どもと若い女性のファンがいないんだよ!メタルのライブに行って若い女の子がいるか?少々はいるかもしれないけれど、プログレはどうだ。いたら天使かと思うだろう!(なんで今日はこんな口調なんだ)


 ということで、先ほどのタルカスのジャケットを見てみよう。ゆるキャラに見えて来ないだろうか。「ダサい」んじゃない。「ゆるい」って考えようよ。

 ではIron Maidenのエディはどうだ?
 
Iron Maidenのジャケットに毎回登場するキャラクター「Eddie」

Gamma Rayのファングフェイスくんと上のエディの関係は、「ふなっしー」と「きゃべっしー」みたいなもんか。似すぎてるけど話題作りにはいいと思う。(肝心の曲も似てるとかそういうのは置いといて)
 
これが「ファングフェイス」もっと似てるジャケットもある。
どちらもグロカワとかそういう路線で若い女性や子どもにウケないだろうか。




さあ、どんどん行ってみよう。
彼なんかは、ほら妖怪方面とかでやっていけないだろうか。よく見ると可愛げもあるし。


ちがう!そんなシェーみたいな昭和ポーズではなく可愛らしさを前面に出すんだ!



メタルにも可愛いのはいる。
Riotのジョニーくん。これなんか、あれだろう。ゴマちゃんとかそういう勢いで可愛がられるだろう。


可愛がられ……あれ?
すみません、やっぱ無理でした。

2014年10月11日土曜日

音楽をやる人は誰の批判も受け入れるのが当たり前なのか。

 ずいぶん前のニュースかもしれないんだけど、乃木坂46がサッカー場でキャンペーンソングを歌ったら、相手チーム(浦和)のサポーターから大ブーイングされたとか。僕はアイドルなんて知らないけど、年端も行かない女の子にぶーぶー言って盛り上がっている大人って情けない…。ダンスや音楽をやるのって大変なことだから、そういうのやめてほしいなぁ。
 
 音楽をやっている人は誰に何を言われても ガマンしろ、それが嫌なら辞めろという雰囲気は素人からプロまで共通している気がする。アイドルやサッカーなど自分に分からないことは置いといて、自分のフィールドであるメタルについて考えてみると、これがまたけっこうヒドい。
 何年か前、ネットでイギリスのメタルフェスをネットで中継していたので夜更かしして観ていた。ヘッドライナーがIron Maidenで、トリ前はEvanescenseだった。僕はどちらも好きだからジュースか何か飲みながらパソコンの前で楽しく鑑賞していたんだけど、Evanescenseの出番で、MCでも曲中でも客が変な盛り上がり方をしていて、わーわー何か叫んでいる。何だろうと思ってよく聴いてみたら、「Maiden ! Maiden !」とか言って騒いでるのね。Evanescenseはメタルの中では新世代に属すような音で、しかも女性Voなので、伝統的なメタルであるIron Maidenとは全く違う音楽。(まあ、「全く」と言っても特にメタルばかり聴いている人以外には同じように思うかもしれない。)
 それでIron Maidenのファンが「お前らさっさと辞めてIron Maidenを出せ」とわめいているんですね。フェスの意味ない…。その後も騒ぎはおさまらず、ペットボトルがステージにどんどん投げ込まれ、結局は予定していた曲目を減らして演奏した模様。

 昔の画家も詩人も、確かにサロンや文壇ではこっぴどく批判されることもあっただろう。でも、ただ美術館に行って絵を見るのが好きだという人に画家が「へたくそ!」と言われたり、本を読むだけで詩を作らない人が「あの作品には価値がない」とか言うのは何か変だし、まして直接に、やっていることや人格を否定するかのようなふるまいを受けるのはおかしいと思う。
 
 こんなことをエラソウに言っている僕も先日、娘とショッピングセンターに行った時、ローカルアイドルの人が20人くらいのファンの前で歌をうたっていて、それを聴いて「うーん…これはどうなんだろう」と呟いたことがある。もちろんアイドル本人やファンの人に聞こえる位置でもないし、聞こえる声の大きさでもないけれど。
 その人の歌唱力とかは、これから人前でどんどん歌って上手にもなっていくかもしれないけれど、MIDI音源をそのまま鳴らしたようなサウンドと、ちょっとそれは…と言いたくなるような曲に対して「どうなんだろう」と思ってしまったのだが…
 それを聞いて、僕にだっこされていた娘は「お父しゃんそんなこと言わないの。がんばって、うたってるんだよ」と言った。
 音楽をやる端くれの端くれのような僕が、バカにするのはやっぱり違う。だって、がんばってうたっているんだから。

2014年10月8日水曜日

娘とプリキュア新聞

 僕は 、自分が夢中になっているものを親にほぼ一切否定されずに子ども時代を過ごして来た。さすがにファミコンのやり過ぎはダメだと言われ、世間一般がそうだったように時間制限はあったものの、何はくだらないとか、これはダメだとか言われた覚えはない。一緒に同じマンガを読んだり、映画を観たり、ゲームをしたり、似た映画や本を紹介してもらったりもした。
 僕も娘に対して、そうありたいと思っている。できるだけ一緒に観て話題を共有したり、映画やライブに連れて行ったりするようにしてきた。だんだんと義務的にではなくて、一緒に楽しめるようになってきたと思う。
 
 さて、いま娘がハマっているものといえばプリキュアである。恋愛やお化粧のシーンが出てくる度に「これはちょっと、どうなんだろう…」とも思うのだが、女の子がそういうものに憧れること自体を否定するのはおかしいし、まだ3歳なので意味が分かっていないことも多いので、目くじら立てずに付き合うようにしている。
 自分ではセーラームーンとか、クリーミーマミとか、女の子マンガをまったく観て来なかったので、「そうかぁ…女の子はそうなのかぁ」と認識が新たになる日々を送っている。

 プリキュアの映画が今週末に上映されるので、当然行って来ようと思っている。前にゲーセンのことで書いたけれども、僕は娘と二人で映画館に行き、事前に手に入れておいた前売り券で入場し、「なっちゃん」の一番大きいやつと甘いポップコーンを買って、二人で観るという行為そのものにとてつもなく大きな魅力を感じている。
 今回は、映画館を観たあと階下のゲームセンターでプリキュアのゲームをやり、マクドナルドでハッピーセットを食べ、31アイスクリームを食べ、そして同じビルの中のSeria(新しい100均)でハロウィンの飾り付けや衣装などを買うという完璧な計画を立てている。
 
 映画の公開に合わせて毎年、日刊スポーツの増刊で『プリキュア新聞』なるものが発行される。お父さんに向けて作られた新聞で、娘と一緒にプリキュアを楽しめるようにキャラクターの説明が書かれていたり、監督がこの映画を観た子に何を伝えたいかインタビューがあったり するのだ。コンビニの新聞置き場に、「星野監督辞任」とか「錦織V」とかのスポーツ新聞や夕刊紙と並んで「プリキュア新聞」が売られている。圧倒的なピンク色である。
 僕は迷いもせずそれを手に取り、名札に「研修中」のわかばマークがついた高校生の男子店員に渡した。
店員さん:「あの、飲み物(ウーロン茶)と一緒にお入れしていいですか」
 … …むむ、僕のことをマニアだと思っているな。そういうことでムカーとかするコレクターだと思っているのか。まあ、仕方が無い。僕:「いいですよ」
店員さん:「あっ、入らないので別の袋にします」
 ……いちいち断らなくても。クレーム言われたら困るからこんなに緊張しているのだろうか。
店員さん:「あの……少し折ってもいいでしょうか」
 ……そりゃ、折らないと入らないよ!僕:「いいですよ」

 今年の夏、娘と池袋のプリキュアカーニバルに行った時点で、もうマニアの人(大きなお友達というらしい)だと思われることは覚悟しているのだ。というか、そういうのってだいたい自意識過剰だしね。でもそんなにプリキュア新聞のコンディションにこだわる人だと思われちゃうのはどうなんだろう。

 そんなこんなで家に帰り、娘に「じゃーん」とかなんとか言いながらプリキュア新聞を見せてみた。「きゃー!」「プリキュアだー!」「しゅごい!」など、大喜びして新聞をめくりはじめた娘。まあ記事は読めないけれど、よその子がプリキュアの格好をしているのを眺めたり、映画の絵を見て「ぜったい観に行こうね」とか言っている。買って来てよかった。

 しかし次の瞬間、娘はプリキュア新聞についていたポスターを破りはじめた。真ん中からビリビリと。「え!?」
 「なにやってるの!?」「どうしたの!?」 と僕が慌てて聞くと、娘はわーー!と大きな声を出して泣き始めた。これは機嫌が急に悪くなったり、何かねだったりするときの泣き方ではない。最近するようになった「本当に悲しいときの泣き方」である。大粒の涙をポロポロこぼして泣いている。

 なんでも、娘はピンクでキラキラしたプリキュア新聞の紙をびりびり破り、セロテープでつけて「おようふく」を作りたかったらしい。そういえば娘と新聞を切って帽子をつくったり、スカートやワンピース状のものを作って一緒に踊ったり戦ったりするという遊びを以前やったのだった。それを思い出し、娘としてはこんなにきれいでプリキュアまで描いてある新聞紙で服を作ったら、さぞや楽しめるだろうと、そう思ったのである。
  そして泣いたわけは、僕があまりに慌てて尋ねてしまい、自分の意図が全く伝わらずに買って来たものをただ粗末に扱ったと思われたから、のようである。

 もちろん怒った覚えは全く無いのだが、僕の「 なにやってるの!?」の中には、 「なんでせっかく買って来たものを大切にしないの!」という非難の色が娘には感じ取れたのだろう。僕がどういう気持ちでいるのか、ということには娘はすごく敏感なのである。まして子どもって自分が疑われたり、誤解されるということには弱いと思う。
 
 スタンドバイミーでリバーフェニックスが、ミルク代をお前が盗ったのかと担任に言われた時、自分をまず疑ったということにショックを受けるシーンがあるじゃないですか。主人公に泣きながら告げるやつ。でも、盗んだのはリバーフェニックスなの。やっぱりお前じゃないか!という前に、大人が自分のことを、ロクでもない人間だと見ている事実がとんでもなく悔しいのだ。
 
 親子だし、僕は常に仕事から 1秒でも早く帰って娘と過ごしたいと思っているから、気持ちのすれ違いや衝突もある。すぐに「そうだったんだね」と理解することはできたから、娘も安心したようだ。
 娘でなくても、仕事でも、また誰に接するのでもそうだけど、まず相手の行動をマイナスに捉えていることが伝わるような反応を、反射的にするのは良くないとつくづく思った。

 いや、これはコンビニの研修中店員の高校生があまりにも丁重に扱うせいで僕の意識化に、プリキュア新聞が大切なものであるという認識ができあがってしまったせいだ。
 あの高校生のやろー!ただじゃおかねえ。ということにしようかな、いや無理があるか……






2014年10月5日日曜日

恋愛不能者による恋愛(?)マンガ紹介

 僕は保育園児のころ、同じクラスだった女の子が猛烈に好きだった。なぜ好きだったのかは分からないし、今となっては顔もはっきりとは思い出せない。しかし寝ても覚めてもその女の子のことばかり考えていて、自分の中ではそれ以降も、保育園の女の子以上に好きだと思う人は現れなかった。すごく外見にこだわっていたり要求が高かったりするというつもりはなく、保育園からの同級生が誰もいない小学校に入学して以降「恋愛って何だっけ」状態になってしまったのだと思う。

 小学校も中学校も高校も好きな子がいないというのは、大切な青春の時期にモノクロの世界を生きているようなものではないだろうか。これはもう、自分は女の子が好きじゃないのだと結論を出した方がラクかとも思われたが、特に男が好きになるということも無かった。

 マイペースに自分の好きなことを追求することができたのはいいけれど、本に、音楽に、映画に、マンガに、恋愛が出てくる度に「自分に好きな人ができたらどんなに良いだろう」と、恋愛という枠組み自体に憧れを持ったのをよく覚えている。

 思春期の自分が一番グラグラ揺さぶられたのが、手塚治虫の『火の鳥復活編』だった。
 作品のテーマは、ロボットと人の違い…つまり人間の体を機械にしていったら、それはどこまでが人と言えるのか というものだったり、徹底して描かれる主人公の深い孤独だったりするのだけれど、それはさておき、僕はこの本をマンガ史上に残る恋愛作品だと思っている。

 主人公のレオナは事故で生死の狭間をさまよい、再生手術を受ける。しかし、脳のほとんどを人工頭脳に入れ替えたために、人や動植物は全て土くれやホコリの塊のように見え、声も風が吹き抜けているように 認識されるようになってしまう。それは家族でさえも同じで、実の母も無機物のように感じられる。
 しかし、世界にたった一人取り残されたように感じているレオナの目に、美しい女性の姿が映る。必死で後を追ってみると、彼女の名前はチヒロ六一二九八号といい、実際には機械むき出しのロボットだという。
 レオナは周囲から変人扱いされながらもチヒロを愛し、その一方で作業用のロボットであるはずのチヒロにも愛情が芽生えていく。

 有り体に言うとまあそんな話だけれど、二人がついに駆け落ちをして、郊外の自然の中で心を通わせるシーンは、抽象的な描写がなされているんだけれども、何度読んでも心が震えるような美しさが感じられる。また物語が結末に向かい、二人がついに自由になって結ばれる場面では、僕のような恋愛不能者であるかどうかによらず、これ以上に幸せで、これ以上に悲しい結末は無いと思われることだろう。

 僕は生まれてくる娘にチヒロという名前をつけようとして却下されたのだけども、それくらいこの作品が大切である。僕がこの本に出会ったのは小学校の高学年のころ、練馬区の区民館のマンガコーナーで あった。ほとんど救いがなくて、ページを繰っていても苦しい気持ちになることが多いのに、幾度となく読みながら多感な時期を駆け抜けて来た。

 特別な時期に触れた作品は、いま改めて触れてもその当時の感動には立ち返れないとよく言われる。「あの映画、当時はすごく感動したのに…」とか「きっとあの頃の気持ちにはなれないから、二度は観ないようにしている」と言う人は多い。
 けれど、自分を形成しているものが孤独 と、深い愛情への憧れだと認識しているので、僕はこれからも『火の鳥復活編』を読むだろう。何度でも自分の根の部分を確認できるからだ。

2014年10月3日金曜日

青春を悔いる必要はない

 僕は映画『バス男』が大好きだ。出てくる人々が全員愛おしいので、何度も観てしまう。
 その中に、高校生のときアメフトの州大会出場をかける試合に自分が出られず、それを二十年くらい引きずっているオッサンが出てくる。すごくしょうもないオッサンで、いつも「あの時に戻れたら…」と思っている。自分がもし試合に出ていたら勝っていたと、架空の大活躍シーンをシミュレーションしてみたり、マルチ商法の販売員になって、街のお年寄りをだまして儲けたお金を使って通販でタイムマシンを買い、やっぱり戻れなくて悔しがったりする。

 僕の周りにも「あの時こうしていれば…」とか、「あの頃に戻りたい」という人はけっこういる。僕はというと、こんな懐古趣味な活動をしておいて何だけれど、昔に戻りたいと思うことは一切ない。
 小中学生の頃、図書館と古本屋が僕の天国で、そこに置いてあるものが変だったのか 、キン肉マンやドラゴンボールの時代には 手塚治虫と水木しげるを読み、バンドブームだといって好きになったのは筋肉少女帯と人間椅子だった。他人との差別化を図りたかったわけではなくて、たとえばジュンスカとかXのCDは図書館で貸し出し中だったり、ジャンプコミックスは無くても火の鳥やブラックジャックは置いてあったと、そういうことかもしれない。…まあ、その後も当然ズレていきますよね。
 まず一番大きな ズレというのは、自分の中に「女の子と仲良くしたい」という気持ちが無くなって行ったことだろう。身の回りはもとより、トレンディドラマは観たことが無いし(今でもテレビでドラマというものを 観たことがない)、アイドルも好きだったためしがないし、マンガでさえも『きまぐれオレンジロード』とか『電影少女』とか『Boys be』とか忌み嫌うようになった。

 ではそんな子どもの頃の僕がJ-POPを聴いて、昼休みはサッカーボールを持って校庭に走って行くという道を通っていたらどうなっていたか、と考えてみる。
 少なくとも人にダサいと言われない服を着て、中高生の頃とかにステキな彼女ができていたかもしれない。僕みたいにある意味で青春を失敗した人というのは(言い過ぎかもしれないけど)、類は友を呼ぶのでけっこう周りにいるけれど、自分の趣味嗜好がもう少し世間寄りだったら…と思うこともあるらしい。
 
 そういう人に会うと 、特にその人が僕と同世代だったりすると、いつも見せたくなるものがある。 そして、80年代の表舞台にいなくて良かったですね、と言ってあげたい。
 それが、このPVだー!

 
 頭のてっぺんからつま先まで、全部ダセ ー!
 この時代に戻りたい人は、まずムチムチのジーパンを買ってキーボードを壁に固定するがいいよ。

2014年10月1日水曜日

弱気プロモーション活動

 以前バンドをやっていた何年間かは、ホームページ内に掲示板があって、そこにファミコンの音楽好きな人とか、偶然検索にひっかかって来た人とか、ゲームの音楽は知らないけどなんとなくライブに来たお客さんとかが色々書いて行ってくれたものだった。もともと人と話すのが好きなので、そこにお返事を書いて、すごく楽しくやっていた。リクエストされた曲をその日のうちに録ってアップしたり、娘が新体操をやっているんだけど発表会の曲を作ってくれないかという人がいて、競技時間を調べてすぐ録音したりとか…。
 別にホームページの訪問者が特別多かったわけではないけれど、毎日掲示板を書いていたので寂しくなかった。

 しかし、いま竜宮城から帰って来た気持ちで久しぶりにインターネットというものをし、ホームページを作って、バンドを再開してみたら、どうすればサイトが人の目に触れて曲を聴いてくれる人が増えるのか全然わからない。こうしてブログを書いていても、こんなことやるよりも家の玄関でも掃除した方が家族に喜ばれていいんじゃないのかと弱気になってくる。
 まあ、ブログというのはリアクションを求めて書くものではないのだろう。だって、他の人はどうなのかなと思って見てみても、すごく面白い記事を書いている人もいるのに別に読んでいる人からコメントがあるわけではないもんね。

 そこで、バンドの認知度を上げるべくやれることを考えてみた。そうじゃないと本当に作ったCDをお焚き上げすることになるから。いや、考えてみたというより、周りにいる人に「いまバンドをして人に聴いてもらうにはどうすればいいのかね」とか「いやそもそもインターネットって今どうなってるの」と聞いてみた。


手段1 以前バンドを聴いてくれていた人たちにコンタクトを取ってみる。

…ほんのちょっとやってみたけど、ダメだ。一人に連絡するだけですごく緊張する。もう別にファミコンの曲なんて聴きたくないとかお前らに付き合ってられねーと言われるかもしれないので怖い!あと、パソコンがダメになってバックアップ取っていなかったりして、手元に残っているのは手紙だけという人が多い。住所にいきなり、なんとか帝国とか不吉な名前で封筒が送られて来たら普通開封しないよ!

手段2 とにかくどんどん更新して検索に引っかかるようにする。

…まあ曲はどんどんというわけにはいかないけど、ブログなら何とかなる。これをやっている最中。でも100記事書いてアクセスが5人くらいだったら立ち直れないかも。…いや、ダメだったことを想像するのはやめよう。

手段3 イベントに顔を出してフライヤー(チラシ )を配る。
…遠回りのようで、これが一番良いような気がする。M3とかゲームレジェンドとかに行って、CDのこととホームページのアドレスが乗っているチラシを渡し、「よろしくお願いします」とやる。

手段3 動画サイトに曲を載せてみる。

…以前はmp3にして曲をアップするだけでたくさんの人が聴いてくれたけれど、今はyoutubeやニコニコ動画の時代だ!(「今」っていうかずいぶん前からか?)だけど動画というものが僕にはどうもイメージできない。子ども達と映画を録ったことは何度かあるので、映像はまあ録ったり編集したりはできるであろう。しかし、なんだ、30代後半にさしかかった人間が猫背でギターを弾いているところを見たい人がいるわけねえ!
 あと、個人的には「弾いてみた」とか「歌ってみた」というのが肌に合わない。「〜てみた」とか軽く言ってるんじゃないよ、一生懸命に弾いたからどうぞ聴いて下さいじゃないのか!と思う。
 ただ、僕はバンドのPVとか見るのは昔から好きで、それはもう映画みたいな完成度のものから、一所懸命やっているのに ダサダサだったり全力ですべっているものまで全部好きだ。じゃあPV作るか。誰も協力してくれないだろうから自分が出て。猫背で。ダメだ!

手段4 知る人ぞ知る、こだわりのラーメン店みたいな感じでやっていく。
 やだ。


…まあ、まだサイト開設から一週間だし、寂しくてもつべこべ言わずしっかりやれということですね。

2014年9月29日月曜日

娘とゲーセンに行く素晴らしさについて。

 ヒマを持て余している娘と車に乗ってゲームセンターに行って来た。壮絶なるイヤイヤ期を経て少しずつ成長しつつあるのかな…という3歳の長女。
 僕の父は長女を「女帝」と呼ぶ。まったく物怖じせずに無理を通しまくる態度と、それでも父や僕をして数々のおもちゃや果物や洋服をプレゼントさせずにはいられない存在感が、この異名の所以である。
 
 さて、車に乗り込むや「プリキュアの曲。」とリクエストする女帝。述語はない。彼女用のCDRをカーステレオに入れながら「何を聴く?」と訪ねると「えりえんど、ともだち」という。「永遠の友達」である。舌足らずなのと、プリキュアの歌詞なんて全部意味が分からないのに音だけで言葉を覚えているのでこうなるのだ。ちなみに「ラブリー、プリティ、イェイかわいい」は「ダブリピーピーイェイかわいい」である。
 
 そんな舌足らずが一所懸命歌う声が運転席後方のチャイルドシートから聞こえて来る。「ときをーこえてーちからあわーせー、ちゅーなーがーるきじゅーなー」

 それだけでもう限りない多幸感で僕などは胸がいっぱいになる。
 ただプリキュアの曲って、女の子ものとはいえ正義の味方だから、歌詞は全部ド正論なんだよね。全く意味わからず歌っている声とあまりにもアンバランスで笑える。
 まあ僕も子どもの頃、スカイライダーの歌が好きだったけど、「君は何に賭け、何と戦うか 」とか意味不明だよね。
 さて、やっとルールや操作が飲み込めて来た様子の娘がやるものは決まっていて、プリキュアのカードが出る ゲームである。アンパンマンのゲームがあればそれもやる。
 娘が自分と一緒にゲームセンターに入って、100円を入れて椅子に座る。その素晴らしさとかけがえの無さが分かるだろうか。

 かつてゲームセンターはもちろん僕らの理想郷だった。僕の年齢だと、「不良」に紛れてこっそりゲームしてた時から、ファイナルファイトで人が増えて、スト2で一気にメジャーになって、バーチャやUFOキャッチャーで出入りする人がほぼそう取っ替えになって、プリクラが溢れて閉め出されて…という時期を目の当たりにしているわけだけれど、やっぱりそこは僕らのゲームセンターだ。

 僕は別にモテなかったから、「ガールフレンドとゲーセンに行く」などという大それたことを初めてしたのはかなり後だ。やるのがシューティングやアクション、格ゲー、たとえプライズゲームにしたって、とにかく僕らは1クレジットに如何に集中し、どう自分の感覚を研ぎすまして行くかという作業をしていたわけだから、彼女と遊びに行ってそれをする神経がもう分からなかった。
 バーチャぐらいからかな、あか抜けた服装をした大人が派手な格好の彼女を連れて来て、しかもけっこう上手かったりして、なんだこの人たちは…と思ったのは。でも、ああなりたいとか、上手くなったら彼女ができるとかは思わないよね普通。そういうのは「別な人類」という括りだった。
 
 まあとにかく彼女とゲーセンに行くというのは僕にとっては裏切りみたいな行為で、最初は何だか後ろめたい気分になって、プライズしかやらなかった。あとはクイズゲームとかね。二人でできるものとか、二人で楽しめるものだけ少しやって帰る…みたいな感じだった。それでも自分は彼女とゲームセンターに来ているんだ、思えばはるばる来たもんだという感懐はあった。

 さて、3歳の娘とゲーセンに行くのは彼女の場合と何が違うか。年齢…というのもあるだろう。若いコはやはり良いものである。
 大きく違うのは、僕がゲームを全くやらず、娘のやるのにカードを用意してあげたり、お金を入れてあげたりするというところか。じゃあ僕は女の子が一所懸命ゲームをするのを隣で見たかったのか?僕はゲーセンに連れられて行って、隣の席に座りたかった…?倒錯なり転倒なりが起こっているのだろうか。なにはともあれ同時プレイじゃないのに二つ席を使っていると店員やゲーマーににらまれるんじゃあるまいか 。

 娘とプリキュアのゲームを何度か連コインしたあと、ふと思った。きっと僕の父が子どもの僕を映画館に連れて行ったとき、マンガを買い与えた時、あるいはこんな気持ちになったかもしれない。そこには形はないけれど確かな伝承とでもいうべきものがあったに違いない。それは釣りであったかもしれないし、祭りやキャッチボールであったかもしれない。
 
 先日、娘と足を運んだきゃりーぱみゅぱみゅのライブの時の感覚、3月に二人で行ったプリキュアオールスターズの映画 で座席についたときのあの気持ち。その正体が分かった気がする。Carry on my wayward daughter .

2014年9月27日土曜日

Roaminig Sheep

 ホームページの扉絵を、てまりんのお友達のgrassiaさんに描いてもらったよ。
 FFの女性キャラクターではティナが一番好きなので嬉しい です。天野イラストの半分死んでそうな目つき(褒め言葉)とか、退廃的なイメージがあっていい。というか、FFVIのビジュアル全てが、魔導アーマーに乗っているティナに集約されていると思う。
 
 そもそも、それまでのファイナルファンタジーってすごく女の子に魅力がないゲームだったと思う。当時、あんまりゲームの中の女の子がいいなと思ったりしない子どもだったのもあって、FFと言えばミンウとかヨーゼフみたいな濃い男キャラとか、レオンハルトやカインみたいな影のある二枚目が動かしていくものだと捉えていた。だってマリアとかローザとかレナとかって 、みんな同じに見えるしねえ。

 そんな中でティナが特別に見えたのは、たぶん女性らしさというものを感じなかったからだと思う。中学生とか高校生が女の子に憧れるのって、カワイさとかお色気とか清潔さ、精神的な成熟度、そして優しさでしょう。ティナって、そのどれにも当てはまらないんじゃないだろうか。手に入れようと思っても近づくことさえできないような脆さと完璧さを兼ね備えた魅力を感じて、当時友達には言えなかったけど 強烈に惹かれていたものだった。たとえば人形を作る人って、そういうものを形にしているんじゃないかなと思う。

 このゲームのエンディングで、ティナが飛空艇の先に一人で行って、髪が風になびくシーンがあるけど、あれはスーファミ屈指の名場面だ。ああ、この人はやっぱり誰のものにも、どんなものにもならないんだなと思った。形としては聖剣伝説のラストでヒロインが樹になってしまうのと似た感覚を覚えた。

 そんなわけで自分にとっては特別なキャラクター。曲も大好き で、作る予定だった4thアルバムでは、自分としては一番気合いを入れてアレンジしたのがティナのテーマだった。それぞれのパートをすごく練って作って、何度も自分でデモを作ったし、スタジオに入ってバンドで合わせていてもすごく気持ちの高まってくるものだった。 これはいつか形にしたいなー。 
 

2014年9月24日水曜日

選曲は楽しい。

 いいアルバムというのは、しっかり一曲目から最後まで聴きたくなるものだろうし、僕もそういうものを目指したい。そして、通しで聴いてもらえるものって、バラエティに富んだサウンドや曲調があるものであって、金太郎アメみたいに同じような曲が続くのではダメだと思う。「どの曲を聴いても、このバンドのいいとこ全部入りだぜ!」みたいに気合いの入ったアルバムってのも、結局聴いてて眠くなってしまう。
 
 パラメキア帝国はギターインストバンドなので、メロディもギター、間奏のソロもギター。そしてギター担当者が二人とも何らかの形でHM/HRを通って来ているもんだから、メロディ以外の部分でもギターリフが多い。(まあ、パワーコード抑えてデッテケデッテケとリズムを刻み続けるのはアラーキーさんが嫌いだったからというのもあるが。)

 今回のCDは、自分が好きな曲を好きな順に弾いて行ったものがメインになるので、やはりこれから足すとしたらバランスを取れるような曲調の物が良いと思っている。
 そこで考えたのが、メドレーと歌もの である。メドレーは前からすごく好きで、まあ初めてパソコンを買ってインターネットをつなげて、leSYNさんのメドレーを聴いて、うわー、こういうのやりてー…となったわけだけど。
 メドレー担当は僕なので、このバンドを始めてからCDでもライブでも、ホントに数多の曲をつなげてメドレーを作って来た。

 今回は、以前作ったファミコンディスクメドレーの12分というのが長過ぎたので、その反省のもと、全部で数曲というサイズのメドレーをやってみたいと思っている。
 いま取りかかっているのは、「格ゲーメドレー」だ。
 でもまあ、このバンドらしく、ギースにしょうゆとかそういう元々カッコいい曲はやりません。カラテカのファンファーレで始め、波の音に紛れてベースがフェードインしてアーバンチャンピオンに、その後タッグチームプロレスリングやケルナグールにつなぎ…というものを今アレンジしています。ゆっくりになってしまうけどファミコンの曲が好きな人にニコニコしてもらえるものを仕上げたいな。

 そして歌ものについても、てまりんの都合に合う範囲でやってみたい。せっかくしっかり歌える人がメンバーにいるのに、歌が出てくるのが月風魔伝の間奏だけというのはもったいない。
 それと、声楽の人+ゲームミュージックという括りって、どうもエンヤとかみたいな、はーきれいですね系アレンジに行きがちだけど、僕はなんか違う気がするので、ロックバンドの中で声が生かせる曲を、と思っています。こっちはまだ曲も決まっていないので、全部これからなんだけども。
 
 アルバムに何を入れようかなと考えることって、遠足の前日準備でリュックサックにお菓子を詰め込んでいるみたいに楽しい。以前はどんな曲入れたらいいかな…とバンドを聴いてくれる人に意見を求めたりしていたけど、今の状況では難しいしなぁ。家のサントラを引っ張りだして色々聴いてみよう。 

2014年9月23日火曜日

コンティニューモード

 ああ、以前自分のやってたことは無駄じゃなかったんだという実感。CDを燃えないゴミの日に出さず持っていてくれた人や、再始動おめでとうと言ってくれる人、leSYNさんにも連絡 したらめちゃくちゃ温かいメッセージをいただきました。

 まあ自分がネガティブなんだろうけど、音が悪いとどこかのホームページや掲示板で書かれたら、そればかり胸に残っていて「自分がやっていたバンドは、一所懸命やっていたけど音が悪いと言われた」みたいな、すごく短絡的なまとめが頭の中にできあがって、そこから抜け出せないでいた気がする。アンプをマイク録りして、しかもギターの音自体も枯れを重視していた(今もそう)ので、当時バカ売れしていたPODみたいなアンプシミュレータとか、しまいにはヤマハのmidi音源と比べてどうとか言われて、やる気をなくしていた。
 そのころとは時代が変わって、今は更にシミュレータもリアルな音になったし、そもそも打ち込みでものすごく生に近い音が作れるようになった。音だけ比べたら、わざわざ練習して一所懸命弾く意味って何?…という。
 FFIVのオープニングでセシルが「ぼくは こころまで あんこくきしに…」とか言っていじけるでしょう。あのくらい落ち込む。それで僕には別にローザが優しい言葉をかけてくれたりしない。
 
 10年近く休んでいて、わざわざまたやる気になったのは、一所懸命耳コピして練習して、汗をかきながら弾いてそれを録って…という行為自体に意味があると自分にはっきり
分かったからです。しかも、やろうと思った矢先に応援してくれる人がいるんだよ。またがんばって行こう。

 …ところで、以前アルバムを作っていたときには、一曲目が何で二曲目が何、真ん中にみんなで盛り上がれる曲を置いて、最後はエンディング曲でしめよう…みたいな流れを作って、とにかく曲を先に決めていた。それで、この曲はメンバーの中で誰が受け持って、アレンジをする…みたいな作業をしていた。
 今回はやりたい曲をその時の気分で録音していったので、統一感や流れが全然ない。いま上がっている曲も何か全体的にシリアス過ぎる気がするし、人が聴いて喜んでもらえるのか…という気がしている。
 ボブ(もと二次元人)に相談したら、「うーん、僕はいいと思うよ。なんか夜の中に青っぽく光ってるみたいなイメージで」とか、抽象的なことを言われた。この人、もともとすげー暗いアルバムを好んでいるから当てにならないんだよな(笑)。


(聴いて下さった方から曲の権利関係について教えてもらいました。そういえばそんなことすっかり忘れてた!近日中になんとかします)
 

2014年9月22日月曜日

独りじゃない

 タイトルはFF9の名曲から。ファイナルファンタジーは6で終わったと思っている人たち!いい曲いっぱいあるよー。

 自分にとって音楽をやっていなかった期間というのは、新しい仕事に就いて丁稚奉公みたいなことをやりながらやっとのことで暮らし、結婚をして子どもができて…と怒濤のように流れて行く日々であった。
 そんな中で急にワイワイワールド2のエンディング曲を録音したくなって、やってみたのが再びバンドを立ち上げるきっかけになったと思う。自分の好きに練習するのと、人に聴いてもらえる形にする(録音する)というのは大違いで、久しぶりに機材をつないでみたら全然弾けないので困った。
 特にメロディがぜんっぜん弾けない。夏の暑い中、扇風機しかない家の録音部屋で6時間くらい弾いて、ひとつもOKテイクが録れず、頭からシューシュー湯気を出しながら水を飲みに出て来たとき、本気で楽器人生は終わったと思った。

 それからずっとリハビリを続けているような感じで、どうにも「これは自信のある音で、よく弾けているぞ」という曲や部分などほとんど無いまま進んで行くのだ。満たされねー……。
 以前も、リズムや音程がしっかりしていても、そこにプラスして特別な倍音が偶然入っていたり、気持ちとはっきりリンクした感覚が無いと、そのトラックは捨てていた。自分はもっといい音が出せるはずとか、上手いはずとか、思ってこだわるのであればまだ健康だと思うけれど、のっぺりした何も感じられない音は聴いていて気持ち悪くなってくるのだ。
 だから以前もあるいはこうだったのかもしれない。上手に弾けた達成感なんて無しにずっと進んで来たのかもなぁ…と思ってなかば諦めて録音を進めていた。

 しかし、少し経ってカーステレオで録った音を聴いてみると、編曲にしろ音作りにしろ演奏にしろ、「もがいている」のが伝わるというのは、悪いことではない気がしてきた。

 気持ちがかなりはっきり定まったのは今日のことである。二次元人から「行け!月風魔」が送られて来た。ホームページにデモとして上がっているのは、僕がバッキングも弾いて、ミックスをやっている音…つまり独りでもがいている音なわけだが、送られて来たのは二次元人がバッキングを弾き、更にきれいにミックスをし直した曲だ。音がかなりきちんと整理され、どこで何を聴かせたいのかハッキリしている。これ、とてもいいです。色んな人に聴いてもらうのがほんとに楽しみ。
 
 独りの音って、もがく中にも閉塞感が現れやすいものだと思う。狭い水槽の中でじたばたして、泳ぐことを諦めた金魚みたいに。だけど、ここに他のメンバーの音が入ると、ミックスを他の人が他の視点でやり直すとこんなに良くなるんだなー、と思った。
 考えてみれば、上げている曲は全部てまりんと編曲をしてきたもの。月風魔なんて彼女の歌も入っている。そもそも僕は独りで頑張っていたわけではなかったんだなぁ、と。すごく体が軽くなって、CDを完成させるのが楽しみになった。以前パラメキア帝国を聴いてくれていた人にも、以前のバンドは知らないひという人にも聴いてほしくなってきた。なんかねえ、素敵な気持ちなんですよ。

 さて、後はこのホームページをどうやって人に見てもらうか……。宣伝するイメージが全く思い浮かばない。長いこと買い物以外にはインターネットもきちんとやっていなかったので、どういう人がどういう情報を得ているのか知らない。ぶどう酒のビンに手紙でも入れて海に長そうかしら。「ここで音楽やってますよ」って。

2014年9月20日土曜日

どの面さげて戻って来た〜♪

 題名は筋肉少女帯の「新人バンドのテーマ」より。

 かれこれ10年くらい前にやっていたファミコンやスーファミのゲームミュージックを演奏するバンド『パラメキア帝国』を、仮にではあるが再始動し、またCD制作や、人前に出て弾いたりとかする機会が取れればいいなーと思っている。
 仮に、というのは、メンバーがひとところに集まれないからである。立派な社会人となったのでバンドを離れたドラム、仕事が多忙をきわめ海外出張からなかなか帰って来られないベース、……本当はみんなそろってCDを作りたかった。

 そもそも僕らのバンドは、プロに頼んだり高価な機材を使ってCDをかっちり作るよりも、それを材料にライブをして楽しく演奏して一緒に盛り上がったり、僕がMCでバカな話を延々とする方に特色があったと思う。
 今の状況を考えてみると、メンバーが揃い、なおかつライブに向けてスタジオで練習するということはかなり難しい。これは人の都合ではなくて、僕自身が、家族を持って大切な連れ合いとかけがえのない二人の娘との生活を最優先にしているからだ。

 ではライブができなければバンドを続けて行くことができないかというと、そうでもない気がする。
 そもそも僕はこのバンドを解散させた覚えはなく、いつか絶対と思い続けていた。
 今は機材が進歩して、昔のようにスタジオに録音機材を全部持って行って深夜に集中して録る…なんてこともしなくてよくなったし、ミックスやマスタリングのソフトウェアだってあの頃よりずっと使いやすくなった。録音なら時間を作りさえすれば進めることができ、それをメンバーに簡単に渡すことができる。

 ただ、子どもが生まれてから、育児に積極的に関わる…というか自分が中心になってやりたいと思っているものだから、楽器を触っている時間はホントにまるっきり全然なかった。それがネックだった。
 もう一つ気になっているのは、このご時世に昔のゲームミュージックを、本物でもないしプロでもない人たちが弾いて、それを聴く人がいるのかということ。

 だから僕は割り切って考えることにした。今度の再始動、これは「自分のため」であると。
 今までは「どうやったら人が楽しんでくれるか」「感情を共有できるか」ばかりを考えていたし、だからこそちょっと人から「音が悪い」とか「もっと練習しろ」とか言われると果てしなく凹んだ。
 だけど、今うまく演れる自信もなく、聴いてくれる人が確かにいるわけでもないのに、やりたいと思うのは、やっぱり情熱を燃やすような何かをしていたいからだ。
 付き合ってくれるメンバーには悪いけれど、やりたいように突っ走ろうと思っている。CDを作って、たくさん編曲や演奏や録音をして上手になって、いつかまたライブをしたい。自分のために。
 ホームページに人が全然来てくれなくても、再生回数なんて1ケタ代でもやる。そしてCDをプレスで作って……ぜんぜん売れなかったら段ボールごとお焚き上げだ!