2014年10月8日水曜日

娘とプリキュア新聞

 僕は 、自分が夢中になっているものを親にほぼ一切否定されずに子ども時代を過ごして来た。さすがにファミコンのやり過ぎはダメだと言われ、世間一般がそうだったように時間制限はあったものの、何はくだらないとか、これはダメだとか言われた覚えはない。一緒に同じマンガを読んだり、映画を観たり、ゲームをしたり、似た映画や本を紹介してもらったりもした。
 僕も娘に対して、そうありたいと思っている。できるだけ一緒に観て話題を共有したり、映画やライブに連れて行ったりするようにしてきた。だんだんと義務的にではなくて、一緒に楽しめるようになってきたと思う。
 
 さて、いま娘がハマっているものといえばプリキュアである。恋愛やお化粧のシーンが出てくる度に「これはちょっと、どうなんだろう…」とも思うのだが、女の子がそういうものに憧れること自体を否定するのはおかしいし、まだ3歳なので意味が分かっていないことも多いので、目くじら立てずに付き合うようにしている。
 自分ではセーラームーンとか、クリーミーマミとか、女の子マンガをまったく観て来なかったので、「そうかぁ…女の子はそうなのかぁ」と認識が新たになる日々を送っている。

 プリキュアの映画が今週末に上映されるので、当然行って来ようと思っている。前にゲーセンのことで書いたけれども、僕は娘と二人で映画館に行き、事前に手に入れておいた前売り券で入場し、「なっちゃん」の一番大きいやつと甘いポップコーンを買って、二人で観るという行為そのものにとてつもなく大きな魅力を感じている。
 今回は、映画館を観たあと階下のゲームセンターでプリキュアのゲームをやり、マクドナルドでハッピーセットを食べ、31アイスクリームを食べ、そして同じビルの中のSeria(新しい100均)でハロウィンの飾り付けや衣装などを買うという完璧な計画を立てている。
 
 映画の公開に合わせて毎年、日刊スポーツの増刊で『プリキュア新聞』なるものが発行される。お父さんに向けて作られた新聞で、娘と一緒にプリキュアを楽しめるようにキャラクターの説明が書かれていたり、監督がこの映画を観た子に何を伝えたいかインタビューがあったり するのだ。コンビニの新聞置き場に、「星野監督辞任」とか「錦織V」とかのスポーツ新聞や夕刊紙と並んで「プリキュア新聞」が売られている。圧倒的なピンク色である。
 僕は迷いもせずそれを手に取り、名札に「研修中」のわかばマークがついた高校生の男子店員に渡した。
店員さん:「あの、飲み物(ウーロン茶)と一緒にお入れしていいですか」
 … …むむ、僕のことをマニアだと思っているな。そういうことでムカーとかするコレクターだと思っているのか。まあ、仕方が無い。僕:「いいですよ」
店員さん:「あっ、入らないので別の袋にします」
 ……いちいち断らなくても。クレーム言われたら困るからこんなに緊張しているのだろうか。
店員さん:「あの……少し折ってもいいでしょうか」
 ……そりゃ、折らないと入らないよ!僕:「いいですよ」

 今年の夏、娘と池袋のプリキュアカーニバルに行った時点で、もうマニアの人(大きなお友達というらしい)だと思われることは覚悟しているのだ。というか、そういうのってだいたい自意識過剰だしね。でもそんなにプリキュア新聞のコンディションにこだわる人だと思われちゃうのはどうなんだろう。

 そんなこんなで家に帰り、娘に「じゃーん」とかなんとか言いながらプリキュア新聞を見せてみた。「きゃー!」「プリキュアだー!」「しゅごい!」など、大喜びして新聞をめくりはじめた娘。まあ記事は読めないけれど、よその子がプリキュアの格好をしているのを眺めたり、映画の絵を見て「ぜったい観に行こうね」とか言っている。買って来てよかった。

 しかし次の瞬間、娘はプリキュア新聞についていたポスターを破りはじめた。真ん中からビリビリと。「え!?」
 「なにやってるの!?」「どうしたの!?」 と僕が慌てて聞くと、娘はわーー!と大きな声を出して泣き始めた。これは機嫌が急に悪くなったり、何かねだったりするときの泣き方ではない。最近するようになった「本当に悲しいときの泣き方」である。大粒の涙をポロポロこぼして泣いている。

 なんでも、娘はピンクでキラキラしたプリキュア新聞の紙をびりびり破り、セロテープでつけて「おようふく」を作りたかったらしい。そういえば娘と新聞を切って帽子をつくったり、スカートやワンピース状のものを作って一緒に踊ったり戦ったりするという遊びを以前やったのだった。それを思い出し、娘としてはこんなにきれいでプリキュアまで描いてある新聞紙で服を作ったら、さぞや楽しめるだろうと、そう思ったのである。
  そして泣いたわけは、僕があまりに慌てて尋ねてしまい、自分の意図が全く伝わらずに買って来たものをただ粗末に扱ったと思われたから、のようである。

 もちろん怒った覚えは全く無いのだが、僕の「 なにやってるの!?」の中には、 「なんでせっかく買って来たものを大切にしないの!」という非難の色が娘には感じ取れたのだろう。僕がどういう気持ちでいるのか、ということには娘はすごく敏感なのである。まして子どもって自分が疑われたり、誤解されるということには弱いと思う。
 
 スタンドバイミーでリバーフェニックスが、ミルク代をお前が盗ったのかと担任に言われた時、自分をまず疑ったということにショックを受けるシーンがあるじゃないですか。主人公に泣きながら告げるやつ。でも、盗んだのはリバーフェニックスなの。やっぱりお前じゃないか!という前に、大人が自分のことを、ロクでもない人間だと見ている事実がとんでもなく悔しいのだ。
 
 親子だし、僕は常に仕事から 1秒でも早く帰って娘と過ごしたいと思っているから、気持ちのすれ違いや衝突もある。すぐに「そうだったんだね」と理解することはできたから、娘も安心したようだ。
 娘でなくても、仕事でも、また誰に接するのでもそうだけど、まず相手の行動をマイナスに捉えていることが伝わるような反応を、反射的にするのは良くないとつくづく思った。

 いや、これはコンビニの研修中店員の高校生があまりにも丁重に扱うせいで僕の意識化に、プリキュア新聞が大切なものであるという認識ができあがってしまったせいだ。
 あの高校生のやろー!ただじゃおかねえ。ということにしようかな、いや無理があるか……






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