2015年1月19日月曜日

CDの感想ありがとうございます。

 プリキュア観てたら、パティシエ志望の女の子(副主人公)がケーキを一所懸命作って、主人公の女の子に食べさせるシーンがあった。食べている方の主人公はちょっとガサツなタイプなので、ケーキを丼飯のようにガツガツ食べていく。
 で、パティシエ志望の子は実は自分のケーキをコンテストに出そうと思っているので「どうだった?」と感想を聞く。主人公が「え?ふつうにおいしかったけど?」と答え、「なによ!もっとマシなこと答えられないの!私のケーキのこと何も分かってない!」とかなんとか言ってケンカになるのだ。
 そうかー、いまの女の子はこういうのを見て育つのか…というか、この副主人公めんどくさい!と思っていたが、けっこうそれは他人事ではないことに気づいた。僕らも以前そうだった。今なら言えるけど、「ふつうに」おいしいと思ってもらえることって、ものすごく大事なことだ。

 正直に書くが、Twitterなどで先日作ったCDを聴いてくれた人の言葉を見るたび、おおぉー!と思って、1日に3度とか見てニヤニヤしている。もちろんメンバーにもその都度送って、な、すごいだろ!俺たち頑張ったよな。な!と言い、それを見たメンバーも、「おぉぉー!」…という具合である。
 自分のことを検索して、作ったものについて誰か言及している人がいないかなーと探すことをエゴサーチというらしいが、感想をもらえるとあまりにも嬉しいので、いつでもどこでもサーチしたくなってきてしまう。今はそんな検索している暇があったらライブの準備をした方がいいのでやらないが、たとえばライブが終わった後なんかはきっとすごく感想を探したくなることだろう。
 
 人の感想というのはそれだけ甘美なものだ。だって、宝探しのようなものでしょう。探してみたら、「ココは編曲よくないな」とか「ここミスってるよな」という意見もあるかもしれないし、それを見て落ち込むかもしれない。財宝にたどり着くまでのワナみたいなもんで。

 以前はどれだけ喜んでくれる人がいても、ダメだと言う人がいたらガックリきていた。音が悪いというのが一番多かったけど、まあそれは自分たちでもギターやドラムをマイク録りしたり、実力に見合わない音数をアレンジに入れていたりしたので、覚悟していたことだった。だって今、10年前のCDを人に聴かせられるかって言ったら、それは無理というものでしょう。あまりにも荒削りだから。
 そうじゃなくて、「パラメキア帝国はMDで録っているんだよ」とか書かれていて、MD使わねーよ!と思ったり、「これ読んだら音良くなりますよ」って、楽器屋のフリーペーパー(すごく初歩のやつ)を薦められたり、自分たちが頑張っているのとは違う次元でのクレームに気を落としていたものだった。(いま考えると別に真に受けることはないのに)
 
 今だったらもっとフラットな気分で、もし良くない点も挙げてもらったら「そうか、じゃあ次はやってみようかな」と思える気がする。
 それはなぜかというと、今回のCDに、ある程度満足のいくところまで手をかけられたからだと思う。
 もう今の出来で編曲も演奏も満足と言いたいのではない。時間をある程度長く使えたので、CDを一度聴いた瞬間に、「ああー、これを弾き直せれば!ココも!ココも!」とか、「全体をもっとバーンと前に来るすげー音にしたい!ハリウッド級の!でも、そうならない!なんでだ!」という風には思いはしない。だから心の余裕がある。
 それと、自分が大人になったというのもあるかもしれない。人の親にもなったし。
 だって、ギターの練習していたら娘(女帝)にはペグを回されたりギターケースに入られたり、ピックを取られて「どっちの手ーにー入ってるか?」とか言われて、僕が「こっち」と言って、それが合っていると「そっちはダメ!」とか怒られるんだよ。その中で、ちゃんとCD1枚作れたからけっこう僕はエライと思うよ。
 
 もうひとつ僕自身が変わったと自覚しているのは、いま自分たちのやっている音を聴いてくれる人がいるというだけで、それがすごく特別なことだと思えていること。
 コミックマーケットでは、試聴はしても買っていかなかった人も勿論いる。音が好みじゃなかったのかもしれないし、僕とボブの客引きに負けて、しょうがなく聴いたのかもしれない。だけど、本当に言葉の上だけじゃなくて、聴いてくれたことに対して「ありがとうございました」と言うことができた。バンドを再始動して、音がCDという形になって、それを聴く人がいるということ自体が嬉しいのだ。

 twitterにも、すごく丁寧に感想を書いてくれた人も、買ったよーという報告をしてくれた人もいるけれど、一言でもほんとに嬉しい。プリキュアの話に戻れば、ケーキを食べて「ふつうにおいしいよ」という感想でも、僕らには心に響いて聞こえるのだ。
 だって、僕らがいくら音楽や映画やマンガや小説に触れて、すごく感動したって作者に感想を送ったりしないでしょう。アマゾンのユーザーズレビューにすら書いたりしない。だから、感想をクレクレ言うのはおかしいし、エゴサーチしすぎるのも良くないと思っている。その中で、「聴いたんでしょ!感想お願いしますよ」みたいに強いてお願いとかしたり、「このタイミングで感想をツイートしてくださいね。文面はこちらで用意しますので」とか仕組まなくても、twitterに書いてくれる人がいるというのはありがたいことだ。

 アマチュアの音楽活動や、同人誌を書いている人の中には、お金を稼ぐつもりのない人も多いと思う。僕らのCDもそうだ。
 では、何のために活動していくかというと、それは聴いてくれる人がいて、喜んでくれる人がいるということのためであって、それはもう本当に大きな糧になっている。
 何しろ活動を再開したのだって、以前聴いてくれていた人のことや、もらったメールやお手紙、掲示板での言葉を思い出してそれをパワーにしたというのが大きい。どの曲にどんなことを言ってもらったか、ライブの時どんな曲が盛り上がったか、まだよく覚えている。
 CD1枚出しただけ…ではなくて、今後もまた活動を続けていけば、きっと喜んでくれる人も増えると思う。

 本当はこういうところにブログを書いているよりは5月のライブの練習をしたほうがいいんだけど、感想を書いてくれる人に感謝している今の気持ちをまとめておきたくて書きました。


 追伸:CDのライナーノーツにTrack4アセルスのテーマについての記述がすっぽり抜けているようです。実は以前はライナーノーツにすごい長文を載せていたんだけど、今は作ったものに対する能書きみたいなので、無しにしようと思っていました。
 でも、ボブやてまりんに「名物みたいなもんだから、書いた方がいいよ」と言われて書いたのです。それで、書いたらもう仕事を終えた気分になって誤字しかチェックしなかったという…
 誤字どころか記事自体が無いということを、指摘していただいてやっと気付きました。載せる予定だったのは以下の文章です。

track4:アセルスのテーマ(サガフロンティアより)
再びサガフロンティアから、一番好きな主人公のテーマ曲です。妖魔の君の馬車に轢かれて命を落とした主人公が半人半妖の体になって蘇り、寵姫となるはずだったのを宮殿から抜け出して、追っ手から逃れながら旅を続けるというストーリー。人間でも妖魔でもない主人公が、行方も目的も定かでない旅をしている姿が印象的でした。人といるのに孤独を感じたり、それでも生きていかなければならないと思っている人に寄り添ってくれるような曲だと思います。編曲に関しては、アコースティックな編成で、てまりんの歌を前面に出す感じにしようとやってみました。伴奏はアコースティックギター、Aメロはエレキギター、Bメロはクラシックギター、ソロはパラメキア帝国初の試みとしてボーカルが取っています。」




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